我が家の第二子、10月5日に生まれました
母子ともに元気です。
おかげさまで、昨日、無事に退院してきました。
今回の出産、入院生活を振り返ってみます。
第二子は、41週を過ぎても生まれず…
10月6日に入院して、7日から誘発剤を使う予定でした。
入院前、最後の週末は、家族三人で外食したり、自宅の掃除をしたり、おでんをコトコト煮込んだりして、のんびり過ごしました。
ここまで来てしまったのだから、あとは入院して頑張るしかないと割り切っていたというか。
入院予定の前日。
5日の早朝、午前3時半ころ。
なんとなく下腹部に痛みがあり、起きました。
不規則でしたが、お腹の張りもあり…
でも、まだまだ我慢できるしなぁ…
これは陣痛なのか??
と思いながら、とりあえず朝ご飯を食べて、ゆうちゃんの朝の身支度などをしました。
主人は仕事へ。
6時半に、念のため病院へ連絡。
前回(ゆうちゃんの時)、お産の進みが早かったので、念のため入院準備をして来るよう言われました。
まだまだ生まれないだろうと余裕な私。
ゆうちゃんを私の母に頼み、一人でタクシーで病院へ向かいました。
7時過ぎに病院へ到着。
NSTを着けると、「良い張りが来ているので、このまま入院しましょう」と言われました。
助産師さんとあれこれお話ししているうちに破水。
午前中には生まれるだろうと言われ、慌てて主人に連絡しました。
どんどん陣痛の間隔が狭くなり、主人が到着した10時ころには言葉を交わす余裕がなく…
立会い希望ではなかったので、主人には病室で待っていてもらうことにしました。
猛烈に痛いときに、主人から「頑張れ」と励まされても、私は素直に受け止められないので…
11時近くだったと思います。
子宮口が全開になり、バタバタと助産師すん、看護師さん、先生が集まりました。
いきんで良いと言われるものの、なかなかうまくいきめず…
助産師さんや先生にリードしていただきながら、必死に頑張りました。
今回の出産は二回目でしたし、
「弱音をはかない」
ことを目標にして、イメージトレーニングをしていました。
子宮口全開までは、イメトレの成果がありました。
しかし、いざ産むとなると、なかなかうまくいきめず、猛烈に痛いし、手は震えてくるしで…
「どうしたらいいのか分かりません」、「休みたい~」などと、ついに弱音をはいてしまいました
ここで、先生が
「ここまで来たら、みかさんが自分の力で産むしかないんだよ!」と喝を入れてくださいました。
私は、返事をする余裕がありませんでしたが、「そのとおりだ、頑張らなければ!」と思い、震える手でレバーを握り、必死にいきみました。
何回か繰り返すうちに、第二子が出てきてくれました。
私は、感動というより、第二子の大きさを見て、呆然としてしまって…
第二子は、3,900gもある大きな男の子の赤ちゃんでした。
先生方は、「こんなに大きい赤ちゃんでは、なかなか生まれないはずだよね。頑張ったね」と労ってくださいました。
出血多量だったため、3時間ほど分娩室で様子を見てから病室へ。
自分で歩こうとしましたが、目眩があり、車椅子での移動でした。
しばらくしてから、赤ちゃんも病室へ連れてきてもらい、母子同室がスタート。
生まれたばかりの我が子が隣にいて、おっぱいを吸ってくれることに、ただただ感動しました。
ゆうちゃんは、生まれてすぐにNICUへ行ってしまったので…
第二子は、すごくおっぱいを吸う赤ちゃんで、生後1日目、2日目の夜は、ほとんど眠れず辛かったです。
なんとかミルクは足さず、母乳だけで乗り切れました。
入院中、ゆうちゃんのことを私の母や主人が見てくれました。
毎日、病室へ来てくれましたが、帰るときに一切泣きませんでした。
ゆうちゃんは「ママ、まだ痛いのかなぁ」などと話しながら、帰っていたそうです。
私が、「赤ちゃんがお腹から出てくるときに、ママは少し怪我をしてしまったの。お医者さんに見てもらって、治ったら赤ちゃんと一緒に帰るからね」などと説明していたので…
子どもながらに、私のことを心配して、我慢していた様子でした。
そんな姿を見ると、健気で、私のほうが涙でした
昨日は、ギューッとたくさん抱きしめてあげました。
療育に、子育てに…
これから大変だと思いますが、楽しみながらやっていきたいです