ある日、にこねこ保育園に1匹の猫ちゃんが、自ら入園を希望して、やってきました。
その猫ちゃんは(保護名「ちょび」)無事にご入園できましたが、母猫の事を心配したにこねこご夫妻は、保育園の敷地内にご飯を置いてみました。
数日後、酷い猫風邪をひき、痩せている子猫を連れた母猫が来園しました。
母猫は、自分は食べずに、一生懸命ご飯を食べている子猫の後ろで、見守っていました。
その日は、大型トラックの音に驚いて帰ってしまいましたが、翌日子猫が来園し、保護できました。(2022年7月29日入園、保護名「トントン」)
前日一緒にいた母猫は、静かに去っていったそうです。
当時の保育園は、保護猫25頭がいて、生粋の野良猫を隔離するスペースがありませんでした。
沢山の保護猫をお世話するかたわら、地域のTNR活動にも力を注ぎ、この母猫さんも一代限りの命として、見守っていく事を決意なさいました。
(ちょびちゃんの母猫とは別みたいです。)
母猫は、非常に頭がよく、中々捕獲器に入ってくれない日々が続きました。
2023年3月27日
やっと母猫を捕獲でき、避妊去勢手術専門の医療機関に、連れて行きました。
でも、母猫は、自壊した乳腺癌を患っていました。
その上、お腹には新しい命が宿っていたのです。
母猫には、出産出来る体力はなく、
「新しい命は諦める」という苦渋の決断をするしかありませんでした。
避妊去勢手術専門の医療機関では、その他の病気の治療はできないので、にこねこファミリーのさえちゃんの主治医の元に連れていきました。
既に転移して、胸水も溜まり、「余命2週間、長くても1ヶ月」
余りにも残酷な診断でした。
その日、この母猫は、にこねこファミリーの一員となり「うずら」ちゃんとなりました。
いつかさび猫がきたら、付けようと思っていた名前だそうです。
うずらママは、里親さんを探すことはないので、人馴れ修行も必要ありません。
その日が来るまで、穏やかに過ごせるように、食事を用意して、ケージを清潔にする。
うずらママにストレスがかからないように、普段はケージを覆い、カメラで様子を見守るだけです。
呼吸が辛そうになれば、家庭用酸素室を用意し、それでも足りなくなってきたら、業務用の酸素室をレンタルなさいました。
保護当初は、食欲もあったので、食事に混ぜた痛み止めも服用できたし、時にはイタズラする仕草も見られました。
余命宣告された2週間、1ヶ月を過ぎてもうずらママは、頑張りました。
にこねこご夫妻は勿論のこと、フォロワーさん達も奇跡を祈り続けましたが、病気の進行は待ってはくれませんでした。
徐々に食欲が減り、4月29日、大好きだった食事が食べられなくなり、同時に痛み止めも服用できなくなりました。
酸素室の濃度をMAXにしても息苦しそうなうずらママ。
今まで外で過酷な猫生を送ってきたうずらママ、せめて最期は苦しむことなく穏やかに逝かせてあげたい。
にこねこご夫妻、最後の最後まで、葛藤されながら、5月1日、かかりつけ医のステキ先生、病院のスタッフの皆さん、にこねこ夫妻が見守る中、うずらママは虹の橋を渡りました。
うずらママは、にこねこ保育園が見渡せる「にじの花」の「再会の樹」に埋葬されました。(樹木葬)
この時一緒に前年に保育園で亡くなった「マッチ」ちゃん(享年1ヶ月半)、「ホープ」ちゃん(享年7日)、「あずき」ちゃん(享年1日)、「あい」ちゃん(享年5日)が埋葬されました。
うずらママが愛する我が子を(2022年10月30日卒園 現「福」ちゃん)にこねこ保育園に託したように、今度は幼くして亡くなった子達を託したのです。
うずらママの猫生の殆どは、過酷なお外で生きてきましたが、最期の一時は、フカフカなお布団で、明日の食事を心配することもなく、にこねこご夫妻の愛情に包まれて過ごす事ができました。
にこねこご夫妻だけでなく、時折り、遠方からうずらママに会いに来る方もいらっしゃいます。