あすなろ。~仕事と家事育児と趣味の、3兎を得る!~

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2012年3月~@Seoul,Korea(日本語教師)
2014年9月~現在@Japan(中学校教員)

もうすぐ2児の父親。
家事育児しながらも趣味活動楽しむ✨

陸上競技、家庭菜園、美味いもの巡り…などなど

日々の様々を書き綴っていきます(^^)

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【教員採用試験に役立つ】(かは分からない)経験者の独り言!第4弾✨


本日は「主体的に学習に取り組む態度(の評価)について🌎社会科編」


早速。


どんな時に生徒は「主体的に学習に取り組む✏️」のだろう?


ちょっと考えた結果…


◯楽しい時

・「できる」から楽しい。

・「分かる」から楽しい。

・「知的好奇心がくすぐられるから」楽しい


◯「分かるようになりたい」時


◯(成績のためなどに)「分かるようにならなきゃいけない」時


だから、「(自ら)調べる

だから、「仲間の意見を聞き、取り入れる


これができていれば「主体的に学習に取り組んでいる」として良いのではないだろうか。


評価方法としては、学級の人数にもよるが、1人1人の「授業内観察」は現実的に不可能に近いだろう。


よって、ワークシートの記述等によるもので評価をしていかなければならなくなる。


この際、気をつけなければならないポイントは、


文章の上手さや、書き物の内容の良し悪しだけで評価をつけない」ということだろう。


それだと別の観点の評価になってしまうからだ。


また、文章や、内容の良し悪しを見はじめると、ある程度の国語能力が必要になり、「態度の評価」としては、公正な評価とはならない。(と考える)


見るべきは主体的に学習に取り組む「態度」なので、例えば


◯調べた情報を根拠として、自分の言葉で述べられているか


◯他者の意見を根拠として(あるいは、他者と比較して)自分の意見を、自分の言葉で述べられているか


というところを見る必要がある。


「文章が上手く書けているか」


とか


「内容が的を射た素晴らしいものであるか」


は関係なく…


主体的に取り組もうとしていたのか」を見る。


これにルーブリックを用いて、例えば


調べた情報、他者の意見等を根拠として、自分の言葉で課題解決のための方法について述べることができている=A


調べた情報、他者の意見等を参考にしながら、自分の言葉で自分の意見をまとめることができている=B


Bに達していない=C


のように評価していく。


これなら評価をつける側も比較的評価しやすいのではないだろうか。



…さて。


評価をするだけが教員の仕事ではない。


「主体的に学習に取り組む態度の評価方法」について、各校において未だ様々な議論が交わされているところかと思うが、


(私の周辺だけかもしれないが)意外と見落としがちな点が「主体的に学習に取り組もうと「させる」授業改善もまた必要である」ということである。


そもそも、従来の授業スタイルに新しい観点、評価方法を当てはめようとすることは、非常に困難なことのように思える。


できることなら「主体的に学習に取り組みたくなる授業」を日々心がけていきたいものである。


社会科の授業において生命線になると思われるのが、やはり「発問」。


知的好奇心をくすぐる。


主体的にならざるを得ない、キラリと輝く洗練された1つの問い✨を、練って練って生み出していくことが、我々には求められていることのように思う。


その話は、またいつか。

いつになっても色褪せない曲がある。


いや、色褪せないどころか、人生曲がりなりに色々あって、ふと立ち止まって懐かしの曲を聴いて過去に浸ると、輝きを増して聴こえる曲がある。


Jungle Smileの「夢見る頃は過ぎても」




「誰かが僕のことを「変わった」となじるよ

綺麗事じゃ済まされないこともあるだろ


ふっと虚しくなる 思いに蓋をして

朝が来たらまた 無理にでも微笑めよ

何もなかったように


途切れぬ悲しみ 消えゆく夢たち

ちっちゃな喜びと温もり抱いて

僕らの日々は続く」




吉田ゐさおさんの音と、高木郁乃さんの歌詞と声が、Jungle Smileの世界感が、これでもかというくらいぶっ刺さる、至極の名曲だと思う。



備忘録としていた過去ブログを読み返してみた。


あの頃と変わっていない部分もあれば、


変わってしまった事もある。



大志を抱いてソウルに渡った20代前〜中盤。


たった20万と身一つ。

「何かを成し遂げてやろう」とがむしゃらだった。


自分には何だってできると思っていた。


夢を見ていた。


ソウルで2〜3年間。

その後台湾か東南アジアかで2年間

帰国して早稲田の大学院に入り、日本語教育の世界でトップランナーになる。


そんな青写真を描いていた。


楽しかった。きっと、輝いていた。



そう、


結局、思い描いていた未来とは違ったものの、ここ数年も楽しかった。


去年なんかは、人生で1番といっていいほど充実していたかもしれない。


ここでも、きっと輝いていた。


進む道は違えど、今も同じ教育の道を歩いている。


「教育者」としての技量の高まり、深みが出てきた実感があった。



さて、今。


正直、停滞している。


この道は「正しい道」だったのだろうか。


1度きりしかない人生。

貴重な時間。


果たして、得るものはあるのだろうか。


俺はこれから、どうなっていくのだろうか。


ことあるごとに、ふっと虚しくなる。


そんな思いに蓋をして、


皆の前では無理にでも微笑むのだ。


そんな毎日にでも、


そんな毎日を彩ってくれる、家族、友達、教え子たちや、目の前の生徒たちがいる。


ちっちゃな喜びと温もりを抱いて。


夢見る頃は過ぎても。


僕らの日々は続くのだ。

最近頭から離れない曲

 Jungle Smile「夢見る頃は過ぎても」



 

 

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今の職場が、超絶暇すぎる。


激務が好きな訳ではない。

もちろん、楽に越したことはない。


でも、暇すぎるのは逆に辛いぞ。


通常学級から支援学級に配属され、「これまでとは全然違う世界だから、きっと初めのうちは余裕なくてバタバタ、忙しくなるんだろうなぁ〜」(期待と不安✨)って思ってたけど、は?


授業時数は激少ない(以前は週23コマ)

→今10コマくらい。(もう少なすぎて逆に数えてない)


定期試験を作らないでいい

採点も評定も所見作成もない。


部活動もほぼほぼない。


支援級(通級)の担任といえ、こんなん担任と言えるレベルではない。(通常学級の担任が本当の担任)


これまでの忙しさと比べたら、「俺って教員…?(でいいんだよね?💦)」ってレベルで暇すぎて、気が狂いそう。


自分から仕事を探して、多少、他の先生方のフォローをしても暇。

ちょっとモヤっとした事

もはや、ちょっとどころではない。


ここ最近、ずーーーっとめっちゃモヤモヤしている。


この業務の偏り、どうにかならんのかね。


これまでの教員人生、ずっと激務で、過労死レベルの働きをしていた私としては、凄く複雑な気持ちです。


このぬるま湯生活に染まりたくない。


 

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「腕ってやつは、上がってると感じてなきゃダメなんだよ。」

 

漫画『医龍』の主人公、朝田龍太郎の台詞だ。


職業人としてそこそこの年月を重ねた今になって、より深くこの言葉が刺さる。

 


接する対象(生徒)が移り変わる。


1人として同じ生徒はおらず、数多の子どもの未来を支えるためには常に自らの知識やスキルをアップデートして、自分自身も成長させていかなければならない。

 


もちろん「現状を維持することは簡単なことではないが…


「いつまでも現状維持の状態」だと、それは「衰退している」と同じなのだ。

 


教師としての「腕」といえば、授業力。生徒指導力。自らの人間力。


「腕」だ。知識ではない。



研修に出まくって、専門書を読み漁って、それだけで向上するものではない。(しないよりマシだが、私は必要最低限しかしなかった。)


 

とにかく生徒と触れ合って、日々「教育」をして、実践の中で腕を上げていくしかないものだ。

 

生徒あっての教師だ。絡め、どんどん絡め!と声を大にして言いたい。


こちとらデスクワークをするために教師になった訳ではないのだから。


ここだけの愚痴

 #ここだけの愚痴

なので、少し愚痴っぽくなるが…

 


「職員会議があるから」と言って、定刻通りに会議を始めたいがゆえに、生徒を「早く帰れ!」と追い出すことに対して、ずー-っともやもや、疑問に思っていた。

 


「定刻通りに会議を始める」、「定刻に間に合うよう出席する」は社会人としての基本だから分かる。


そんなもん当たり前だ。

 


でも…

「今日その日にどうしても伝えたいことがある」

どうしても相談したいことがある」生徒に対し、少しでも時間を使ってやれないような時刻設定がそもそもおかしいのではないだろうか。

 


「それって、大人の都合じゃん。」



「目の前の生徒」>「会議」なんじゃないの?

 


デスクワークとか会議なんかより、目の前の生徒ファーストでしょ。ってずっと思っていた。

 


これから教員を目指す人。


なりたての若手教員。



是非、高いプロ意識と、「生徒の成長(「教育」すること)」に対する執念を持ち続け、どこまでも腕を上げ続けていってほしい。


そんな事を思った今日この頃。

 

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新村。


大学時代の旅行で、なぜか新村レスト(チムジルバン…健康ランド?的なところ)で一夜を明かした程度しか馴染みのなかった街。


2号線 新村駅。

我が母校、高麗大学のライバルである延世大学の城下町。


연고전(延高戦…高麗大学と延世大学の戦いをよくこう言う)、城下町部門では延世大学の圧勝か…



というくらい、活気であふれ栄えている。眠らない街(少なくとも私がいた頃はそうだった💦)


そんな街に、2年近くも住んでいた。


家は当時働いていた語学院の家賃補助があったので35万ウォン。


坂の途中にあり、冬の寒さの厳しいソウルでは降雪🌨と路面凍結🧊は当たり前なので、毎朝ゲレンデから命がけの出勤をすることになる。


全体的に言える事かもしれないが、ソウルの住宅地は坂の途中に形成される事が多い気がする。



冬場は本当に危険⚠️なので、ワークマンとかで滑りにくい靴を買って持って行くと良いのではないかと、今更ながら思う。


さて、新村といえば호밀밭(ホミルパッ…有名なパッピンス屋)とか、곱창이야기(コプチャンイヤギ…有名なホルモン屋)とか、장군닭갈비(チャングンダッカルビ…鶏肉の店。雑💦)などが有名店でハズレなし。


カルメギサル(豚ハラミ)がお好きなら서래갈매기(ソレカルメギ…今は店名が変わり「新村カルメギ」になっているとか!)は最高。


복성각(ポッソンガッ)という中華料理屋は本当によく通った。ここの탕수육(タンスユッ…揚げた豚肉の酢豚的な料理)は今すぐにでも食べに行きたい。


飲食店の話ばかりしているが、新村と言えばここの存在も忘れてはいけない。


가케하시」(カケハシ)

私の恩人がいる日韓交流カフェである。


もう数多くのブログや記事がアップされていると思うので今更感があるが、在韓日本人はここに来れば色々な事が解決すること間違いなし。である。


가케하시については、またいつか別の記事でしっかり語りたいと思う。


昔(2012〜2015)よく行った店も、改めて今調べると残念ながら閉店してしまった店も多く、物悲しい。


あの頃が懐かしい😌


記事を書いていたら色々と記憶が蘇ってきたので、新村Part2を近々書こうと思う。



働いていた語学院の屋上で撮った新村の空とMAXコーヒー


ではでは。