私の母は昔からいつも楽しくなさそうでした


苦しそう

重たい

イライラしてる



自分のことは後回しで、相手のために動くことが優しさだと思っていて、


我慢して、我慢して


自分よりも子どものため

自分よりも誰かのため




お見合い結婚して、嫁いできて、

否応なしに家業の事務を担う事になり

祖父から代替わりして、社長の父と二人三脚で数十年



祖父の残した多額の負債を懸命に返済し

毎日仕事をしていました



母自身、もともと自己肯定感も低く

人付き合いもさほど得意ではなく


嫁ぎ先の親族関係は強くて広くて

そこに母はあまり馴染めませんでした



祖父は厳格な人

嫁姑の仲もあまりよくはない


母が自分の味方だと感じていたのは

父と小さかった私達子どもだけでした



でも、姉は成長するにつれてしっかり者で反抗期も長く、優しくしてくれない、と感じ


兄と私は、あまり何も言わなかったため

頼りやすい相手になっていきました




実家は私にとってなんだか重たく、苦しい場所でした


会話が少ない希薄な空気感



母のねっちょりとした重たい依存体質や過保護過干渉な感じが今でも重たいな、と感じる事があります




子どもながらにずっと母に思っていたのは


もっと人生自由に楽しんだらいいのに


もっと気楽に笑っててほしい



ガハハハハハ笑い泣きって豪快に大笑いする

そんな母親像を母に求めてるのかもしれません…



・母の依存体質や過保護過干渉な部分

・相手との境界線を引くこと



私も意識しないと、その傾向があるな、と感じます



ついやり過ぎるし、口や手を出し過ぎる

子ども達の自立を妨げてしまう行動をしがち滝汗




小3長男の不登校のことも


私が子どもに依存してた部分


手や口を出し過ぎて、子どもの領域まで無意識にズカズカ入り込んでしまって、依存的になりやすい息子に拍車をかけた私の原因もあるな、と思ったりします



そこのループから抜け出すことを

不登校を通して学んでる最中なんだろうと思います



私が私の人生を楽しく自由に生きること



私のテーマなんだと思います



自分の機嫌は自分でとる

自分が自分の人生を良くしていく




私はすぐ真面目さが全面に出るので



軽やかに、楽しく、自由に、進んでいきたいのに



私だけが自由に動き回ってはいけない

母親たるもの、こうしなきゃいけない


みたいな母親像があって


私の中で無意識にストップをかけてしまう



アクセルとブレーキを両方かけてるような、そんな葛藤を感じながら最近ちょっと悶々中笑い泣き



息子が不登校を通してきっと教えてくれているチャンスなんだと思います



母から続くこのループを断ち切りたい



家族みんなが自由に自立しあえる

自分らしくのびのび進んでいける

そんな家族関係になりたいです