「後悔した〜」とか「まじ後悔」とか
誰しも言ったことあると思うんですが、
(どのくらいの後悔度かはさておき、)


本当に後悔することって、どんな事でしょうか?

本当に取り返しのつかないこと?



色んな出来事を経て、究極の答えに辿り着きました。

それは、絶対に覆らない「死」が訪れた時に
感じるのではないかと。



例えば、この人に、こんな事がしてあげたかった。こんな事を伝えたかった。というのを
その人が死んでからでは、できない。伝えられない。

自分自身の人生で、こんな事をしたかった。というのを
自分が死んでしまってからでは成し遂げられない。


当たり前のことだけど。


だから、逆説でいくと
生きてさえいれば、100%できないというのは言えなくて
本当の本当の後悔はやっぱり「死」が訪れたとき。


よく、何か問題があると
「時間が解決してくれる」と言う人がいて
その言葉に私はずっと悶々としてきた。

今、行動を起こす事ができるのに
そのままにしてしまうなんて…と。



ただ、自分の事となると
知りたいのに分からないことをそのままにする、とか
会いたいのに会いたいと言わない、とか
そういう事も日常茶飯事。

いつも理由は「優先順位が下だから」というもの。

今一度、考えてみると
優先順位って何の為のものだろう…
私の場合は「生活効率」と「自分自身の快感」に則って順位付けしている気がする。



話は戻って、どうして、こんな事を考え出したかというと
言うまでもなく「後悔」を経験したから。


生涯忘れないほどの意味のある言葉を送ってくれた
ある大切な人が知らぬ間に、亡くなっていた。

それを今日知って。

連絡も取っていなくて。

あまり近い関係じゃないから訃報が届かなくて、
もうとっくに何か月前ということだった。


丁度そのころ、連絡を取ろうと思っていて
ただ繋がらなくて返信も無くてそのままだった。

大事な用事という訳でもなくて
多忙な中で折返しや返信が無いのを、忘れて気にも留めないほどだった。

でも、たまに頭に顔が浮かんでような気もする。


とにかく亡くなっただなんて、信じられなくて
今もまだ半分、信じられない。


その人は、
私が色んなことに頭を悩ませているときに
自分を理解するのに大きな影響を与えた
的確でインパクトがあって説得力のある言葉をくれた。
「いつか」その真相を聞いてやるぞ、と常々思っていた。
一番、人からの優しさが欲しかった時に
それを感じ取って優しさを分けてくれて(しかも、後々も全く見返りを求めず)
その時の感謝も「いつか」伝えようと思っていた。


「いつか」が不可能になって、
途方もなく悲しさが込み上げてくる。



ありきたりな表現だけど
「あの時、ああしていれば…」という想いがよぎって
事細かに過去のチャンスを思い返してみて
また深く深く悲しくなる。


優先順位なんて何だ?ってレベル。


「後悔」してる。





感情を抑えきれず、



何が言いたかったかというと
生きている限り、できることはある
死んでしまえばどうすることもできない。

だから、どうか「後悔」がないように、
今日を、今を生きていきましょう。という事です。



最後に、大切にしている言葉
「今日とは、昨日死んだ人が生きられなかった明日」
この言葉を読んでくださった人に贈ります。


まさかこんな大切な人で
この言葉を受け取る日がくるなんて
想像もしていなかった。




今、一度
考えてみてください。


「後悔」していることはありますか?
今できることは、ありませんか?