旦那が休みの日。

お出かけしたいとワガママをいったさくら。

それに対して

旦那は家でものの整理やら雑務やらする必要があり、出かけれるほどの時間的余裕が無いから無理。

私は連れてもいいがあんまり体調が優れず、特に肩腰の調子が悪くて抱っこが必要なかえでを連れて出かけたくはない。

そこで間をとって

かえでと父はお留守番、さくらと私でお出かけをすることにしました。

そんな時旦那と共通の知人の年配のおばちゃんに遭遇してしまい、当然といえば当然だが、1人しか連れていない私にかえでは?と聞いてくる。

答えると

「あらー!かえでちゃんお父さんとお留守番!お母さんいなくて大丈夫?お父さん大変なんじゃない?本当にここはお父さんお休みの日なのに良く面倒みてくれるねぇ

等と、旦那を褒める言葉とかえでを連れず出かけている私を攻めてるような嫌味を残し去っていった。

(あ。嫌味って言っても多分本人は深く考えず口にしてるだけで本人はそんなつもり無く私が勝手に嫌味だと感じてるだけ)


たまたま前に同じ場所でかえでが産まれてまだ2ヶ月くらいの時に遭遇した事があったのだがその時に

「こんな小さい子連れて歩いて大丈夫なの?可哀想に。風邪ひかせたらお母さんの責任よ。ちゃんとするのよ?」

と、言われたも思い出した。

今回旦那はかえでを家で見てた。


私だってさくらだけをみてた。


2ヶ月くらいの時に連れて歩いて、今度は連れてない事に対して月齢の問題もあるし言うことが違うのはまぁまだわかるけど

そこには全く触れず、なのに旦那だけ褒められることに対して


父親が自分の子供の面倒みるなんて当たり前じゃん

って、思った。

子供って母親1人で作れるわけじゃないし、産まれてきた以上育てる責任もある。


育児をするのは父親、母親両方にとって当たり前の事。


だけどその時ああ言われたら


"子供を育てて当たり前"は母親のためだけの言葉に思えて仕方ないかった。


父親は仕事しているから?


そのうえで育児もこなすなんて凄い?

仕事も頑張ってて育児してくれるのはありがたいと思うし大変だと思う。

でも母親だって大変で、生活するうえではそれとは別に『家事』も必要だ。


夫が外で仕事を淀みなく頑張れるように、妻も家事を頑張ってる。

その家事は仕事をしている父親よりも家にいる母親が担う事が多いし、育児とセットなの?当たり前なの?

別物ですよね?


父親が仕事だけしている

のならば

母親は家事と育児二つの重労働をこなしてる


事にならない?


なのになんで母親が家事育児するのが当たり前で、父親は仕事に加えて育児してると当たり前じゃなくて褒められてる。



養ってもらってるくせに


と言うならば


家事させてるくせに


となってもおかしな事ではない。


仕事で疲れてるから休みの日くらいゆっくり休ませてくれ


私に休みなんてない。家事育児で疲れてるからあなたが休みの日くらい少しだけ休ませて欲しい

になる。


母親なのだから家事育児して当たり前

なら

父親なのだから仕事をして当たり前


を女性は主張していいと思う。


なのにそれは許されない。

だから養ってもらってるみたいな風になる。


なんでそっちはそんなにも上からになるのかが不思議だった。



父親の方ばかり仕事に育児。認められ褒められることなんて不公平だし、おかしい。だったら母親だって認め褒められるべきだ。


って思ったところで気がついた。


そりゃ、褒められて悪い気はしない。頑張ってね、頑張ってるねと言われたら率直に嬉しい。

だけど

別に私は褒められたいわけじゃないはずだ。褒めてもらうために育児をしている訳じゃない。

それに

旦那が褒められている事にだって不満を持つ必要もない。

確かに良くやってくれてる。それは思ってるし旦那を褒めてくれてる事に卑屈に感じる事はない。


違う。そうじゃない。


私はおばさんに自分の価値感を当たり前と言われて嫌だったから当たり前と言われたから当たり前の枠にいれて考えていた

事に気がつく。


でもそれは


今度はその自分の価値感に変えただけで同じように人に押し付けているだけだと言うことに気ががついた。


やっている事は同じじゃん。


"当たり前"って考えが酷く傲慢なんだな。

って事に。


当たり前の奥には、不平不満を自分の基準に合わせろと考えている気持ちがあった。


男女で身体のつくりが違うからそこからして全くの平等なんて事は無理だ。


男女でなくても能力の差だってあるし、思考も違うのだし。


出産するのは女性しか出来ないし、母乳を出せるのも母親しかいない。


出産は身体に大きく負担をかけるから


生きていくために、子供を育てるのにお金が必要とはいえ、収入を得るための仕事を休まざる得ない。


だからそのまま母親が家事育児、父親が仕事となっていくのが多いだけでこうなっていうのは自然なのはそうだと思う。


でも別に父親が子供育てして母親が仕事したってそれはそれで良い。

私は旦那が仕事してきて当てたり前とも思ってなかったし、旦那も多分、思ってないと思う。


父親が仕事して当たり前なんて事はないし、母親が育児して当たり前とも思ってない。


当たり前を押し付けたいわけじゃない。

当たり前と思い、思われるのはやっぱり悲しいし、傲慢で、どうしても不満に感じやすい。


だがら当たり前の武器に当たり前で対抗したくなるんだ。


じゃぁ。どうしたら良いんだろうと考えた。


そしてちょっとだけ見つけた気がした。


"当たり前"を"ありがとう"や"頑張ってるね"


に変えたらいいんだって。


そしたら同じことに思えて


全然違った受け取り方になると思った。


親が子供を育てるのは当然で責任もある。

当たり前の事は当たり前として責任が薄くなるとかは一切ないが。


人ひとり育てるのは大変だよね。お母さんお父さん頑張ってるね。


家族のために働いてくれて毎日頑張ってるね。ありがとう。


仕事中の家事育児を引き受けてくれてありがとう。頑張ってるね。


お互い毎日頑張ってるんだから休みの日くらい休ませてあげよう


こんなにも優しい世界になると思った。


別にこれは育児に関してだけじゃないと思う。


当たり前だから当たり前で返ってくる。


当たり前が嫌なら


ありがとうと思う。言う。


ありがとうにしたら


きっとありがとうで返ってくるはずだ。

褒められるためにやるものじゃないけど、やっぱり気分はいい。嬉しいものだ。相手だってそうだ。


気分は悪いより、良い方がいいに決まってる。

いつもありがとう。

***

良ければポチリとお願いします!


にほんブログ村 子育てブログへ