こんにちは、あすかです。
私は津田塾大学の村瀬先生の「ヒューマンセクソロジー」という授業を聴講させていただいていたのですが、そこで最終課題のレポートがありました。
とてもヘビーな課題で忙しさにかまけ、期限内には提出できなかったのですが、改めて、取り組んでおります。。

今日は 
ひとはなぜ「性」に近づくのか?
というお題。

ブログ用に少し編集しましたが、前半はテキスト「セクソロジー・ノート」の要約と、後半は自分の意見になります。
けっこう目からウロコなこともあるので、是非見てみてくださいっ!!


ひとはなぜ「性」に近づくのか

性行動は性差よりもむしろ個人差が大きく、学習や体験によって個性化されるプロセスを持っている。
生まれた時に触れ合う安心感と快感を得て、身近な養育者や母親との濃密な触れ合い、タッチングによって子供は生きる意欲と安心感、自己肯定感、愛着や信頼感の基礎となる感覚と感情を身に付けていく。
しかし子供の成長にともない、子供の裸体がプライバシーとして意識され、タッチングの対象としては同性の友達へ、そして異性の恋人へのラブ・タッチングへと変わっていく。
親子関係と友人・恋人との関係性の違いは、選び選ばれるという相互確認を通じて親密性を深めていくことである。
異性との性的親密性を深めるプロセスは、母子のタッチングと逆のプロセスをたどっているようにも見える。性的親密性の深まりとは、母子の時代のふれあいへの回帰とも言えるのではないか。

母子のように甘え合い、戯れ合える関係であることは、自分の身分、建前や役割などを全て脱ぎ捨てたただの男と女としての向き合える関係ということであり、ここにアイデンティティを脱却した自己解体が起こるとも言える。
自己解体を許容しあえる間柄におけるエロスの共有とは、性行為を対等な関係における遊び・戯れとする考え方に通ずるものである。
だからこそ、人権の尊重が前提となり、望まない妊娠や性感染症を防ぐ心配りをすることが大切である。

マスターベーションの方が男女共にオーガズムに達する確率が高いのに、2人での性行為を求めるのは、関係性の中でぬくもりや安心感、ふれあう快感を与え合い、寂しさを癒しあい、生きる喜びを分かち合うためである。

人間の性は、性交やインサート(挿入・射精)に限らず、多様な触れ合いや時には見つめ合うだけでもエロスや充足感を感じることができる。そして、お互いの心地よさを伝え合い、欲求を満たしあうメイク・ラブ、自分の性的緊張を解くセルフ・プレジャーの違いを意識しながら、どちらも大切な性行為として追求し、受け入れていくことが大切である。


以上がテキストの要約となります。

初めてこの考えや知識に触れた時に、とても目新しいものに感じ、衝撃を受けました!
別にセックスはエロくなくてもいい。お互いに、楽しくて幸せを感じられればいいとするって、AVに代表されるポルノ情報に漬かった頭では、なかなかすぐには理解しがたいものではないかと思います。
どうしても性=エロという刷り込みが強いから。

たしかに挿入・オーガズムは気持ちいいけれど、それはあくまで1バリエーションのひとつなわけで。それだけにこだわる必要はないってことですね。
ありのままに、けれど相手への尊敬と愛情を忘れず、要求を満たしあえる関係は、とても大きな心のよりどころになりますよね。

豊かな性を人生で実現していくためには、自分やパートナーと向き合い、対話していくことがとても大切なんですね。
何が不快で、何が快感で、何が嬉しいか。

できればポルノ情報の画一的で攻撃的な性の表現に触れる前にあたたかで柔らかい性を子供に伝えることが大事ではないでしょうか。
私自身、自分が親となった時に、子供に性のあたたかさの側面を率直に伝えられるような親になりたいと思いました。