最近仕事が忙しくて、周囲から急かされて参っている。

そんな中、今気づいたんだけど、24日も25日も遅くまで残ってたら寂しいのだろうか。

 

個人的には誰が仕事してても気にならないんだけど、なぜか自分に置き換えると少し考えてしまう。

「24日か25日は早めに帰らないと寂しい人に思われるかな」なんてことをちらっと思う。

 

別に私が残業してようがしていまいが、誰も気にはしないでしょうが。

 

家族がいる人はきっと早く帰るんだろうな。

しかし思い返してもいつもより早く帰っている人がいたかどうかの記憶がない。

人に対する興味が薄い。

 

なのに自分のこととなると少し気にしてしまう不思議。

人のことは気にならないのに人目は気にする人。

 

 

別に本当に何の約束もないし、クリスマスに限らず何にも決まったイベントはない。

クリスマスに予定があったのはいつだろうか。

 

10年くらい前にクリスマス会に参加したと思う。

楽しくはなかった。

プレゼント交換をしたけど、何をあげて何をもらったか覚えていない。

 

 

今年は会社の人たちの明日明後日の残業の様子を見てみよう。

 

いや趣味悪いから止めておくか。

何の楽しみもなければ得るものもないし、人がいなくなって寂しくなる可能性すらあるし。

 

それよりなによりも、早く帰って早く自分1人の時間を有意義に過ごしたい。

 

それなりの残業は別に嫌でも何でもなかった時代もあるけど、今は嫌だ。

なるべく早く帰りたい。

誰も待っていないけれど、私の自由時間が待っている。

 

そんなわけで、明日明後日は何の約束もないけど、早く帰れるよう頑張ろう。

 

今日が火曜日であるにもかかわらず、体の疲れ具合から見れば木曜日の感覚なんだけれど。

12月は忙しいと言うけど、確かにやりたいことがたくさんある。

 

やりたいこと?

そうではなく、やらなきゃいけないことがたくさんある。

 

ただでさえ仕事が忙しくなる。

連休前は年末年始関係なく忙しくなるけど、今年中にというものが出てくるから。

 

プライベートでもそう。

年始の挨拶をどうするか問題とか、数少ない年賀状書かなきゃとか、掃除はしないけど多少部屋片づけないとな、とか。

あとお金関係の整理とか。

 

それから、このあたりの誕生日だと何らかの手続きが慌ただしくなる。

例えば免許更新とか。

年末年始休みだし、12月も1月もやることあるし、忙しいんだよ。

 

 

これだからこの時期は昔から好きじゃない。

自分は急ぎたくないのに、周囲から急かされる。

外は寒い。動きたくない。

 

年末はゴールに向かってる感があるからまだいいけど、年始にいいことがない。

年が明けて心が新しくなることもなければ、それ以外に新しくなれる可能性のあるものはない。

 

寒いし出たくないのに仕事始めがある。

休暇に入る前から休暇明けの嫌な気持ちを想像して滅入るのは、それこそ人生損していると言えるけど。

 

 

しかし時間は流れていく。

 

今年は何か頑張ったかな?

年末に特別思い入れはないけど、頑張った自分を見つけなければ今年の自分が可哀そうな気もする。

 

でも頑張ってない時期はない。

いつも頑張っている。

結果が付いてくるかどうかを考えてしまうし、それが大事ではあるけれど、頑張って生きている。

 

結果を求めすぎない人生にしたいなぁ。

これも、私がそう思っていても周囲がそうはさせてくれないのだ。

 

頑張っただけで褒めてくれる、お金をくれるわけではない。

そして求めなければ手に入るものも手に入らない…

 

前向きに、積極的に、でも無理せずにバランスよく生きれればと思う。

 

大人になってから随分長く、優しい人になりたいと思い続けている。

 

優しいという定義があいまいではあるけれど、つい周囲の人を優しさを見て「私はあんなふうにできないな」と思ってしまう。

 

他人と比べる意味はないとか、自分は自分、という言葉は結構言われてきている。

でも成績やスポーツは得意不得意があるのに対し、優しさに得意不得意のようなものはない。

強いて言えば、優しさの表現の仕方が器用か不器用かどうか。

 

人に優しい人は、優しくするのが得意とは言わない。

だから私も、優しくするのが苦手とは言えないということだ。

 

 

私の言葉は誰の気持ちも温めることもできないし、ましてや人を救うこともできない。

私の言葉や行動はほとんど無力だ。

 

それを望んでいるわけではないけど、誰かを救っている人を見ると自分のことを考えてしまう。

 

 

どうすれば「こうなりたい」に近づけるものか。

そう思って、とりあえず今日は職場の人に「何か手伝いましょうか」と声をかけ、お手洗いで会った別の人にも今後のことについて聞いてみた。

 

特別な優しさというわけでも、そこから何が生まれたわけでもないけど、なんとなく1歩踏み出せたような気もする。

そのお陰か、声をかけた2人とはその後も別の話題で話すこともできたし。

 

明日も継続できればそれがいい。

でも、継続できなくても1歩は1歩。

 

まぁ継続できなければ、1歩進んで1歩戻ったなぁと思うんだろうな。

 

 

人とのコミュニケーションが嫌いなわけではないけど、積極的ではない。

本音は好きな人以外とはそこまで情報共有したいわけではないが、それを言うと何にも広がらなくなる。

 

不思議なことに、全く興味がないと思っている人に限って私に声をかけてくる。

結構しつこくしてくる。

そういう人はきっと価値観が変わっているか、人が変わっているかなんだと思う。

 

そしてしつこい人は、興味がない人から苦手な人に変化する。

 

私が避けていることを察しない人。

そうしているうちに、誰かを避けている自分が嫌になるから、あんまり私に関わらないでと思う。

 

 

 

好き嫌いのない大らかな人間になりたいものだ。

でもきっと今からでは難しい。

 

どう自分を受け入れていけばいいものかな。