言語WARS~コトバが支配する思考 | HublessHUB皆がTop of the world!

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EVITA妻と暮らし20有余年、奇天烈語学鬼の凡ゆる壁や檻を打ち破る我が闘争の物語。身近な国際モンダイから日比~途上国関係者の
地位向上イメージアップへの支援と国際連携。魂とココロの開放と宇宙的~ミクロまでの調和と皆が主役の真ミレニアムが(Miriam)女神の願い

我が国を含む、幾つかの国を例として、新たな外国人移民の流入による社会的な変遷を、ハゲ山~極相林に例え、「共生」「棲み分け」「同化」といった社会現象とともに論じた。前回の稿においては、我が国の国民が他国と比較しての傾向として、総じて外国語が苦手であると述べた。勿論、それを心外に思われる方も(殊に、こういう国際問題を論じるネット上には)多かろうことは承知の上だ。だが、国内においては、それは必ずしも我々に不利に働く訳ではない。我々が依然圧倒的な多数派を占める現時点では、それは思考の主導権を持つことに繋がるからだ。

 

小学校から始まる英語の教育に関しては問題が多いと、以前に論じた。先ずは国語力という識者の意見も多くある。外国語は手段(ツール)に過ぎず、土台である日本語の能力無しに英会話を行っても、その日本語能力以上の能力は発揮し得ないのが現状である。また仮に、それが発揮出来るとしたらどうだろう?それは意識や思考そのものが外国語化することを意味し、まさに我々は言葉を失った言語植民地の住人に成り下がりはしないだろうか?

 

このように、コトバは思考を支配する。日本語と英語との文法の違いを見ても、一番よく言われるのは日本語は主語を省略する場合が多い。主体が分かりにくいが、それは概ね前後から判断ができる。ただ良く政界などではコレが揉め事の原因にはなる。後で責任者不在ということもある。またそれらの関係者も良くわかっておられ、そのことを承知で謀を企てるのが常である。もしエイゴが公用語にでもなれば、最も不利益を被るのは彼らだと思われる。いっぽうで、奥ゆかしくも美しい、和歌や短歌、俳句の世界もある。良くも悪くも日本語の成せる技である。通常、我々はその意識の表現である思考を、この日本語を通じて行っているのである。ただ、高度な外国語脳というトレーニングもある。脳をパーテションに分ける感じで、場合によっては「海外モード」として、それが相応に(それなりに)機能する気はする。但しそれでも大元の日本語脳があってこそである。

 

我が国は国際人流の増大に伴い、多くの外国人移民を受け入れる事態になったとはいえ、その割合はまだ数%にも満たない。確かそれは数百万人といった規模であった。まだ我が国は日本人が圧倒的多数を占める。なので、外国人が我が国で暮らす、特に単身であれば、日本語の習得は不可欠であり、また就労などでも同様である。次男の婚約者の父親はペルー国籍である。来日して20年を超えるが、最初はドライバーから、奥様も介護職に付かれた。しかし今では我が国とマレーシアを行き来し、日本語、スペイン語に英語、マレー語を操る事業家である。そして今では婚約者である娘と息子へコンビニのオーナーを任せておられる。さしずめ息子はそこの用心棒としているみたいだ(笑) 先日も、深夜に二輪の音を立てて居座る数名を追い返したらしい。聞けば隣に住むチョイ強面のお兄さんを演じたそうな・・(笑)

 

また、今後外国人コミュニティが多数形成された場合、その言語でのビジネスも可能であり、また現実にある。またこの場合は、その言語を知っている日本人にも就労あるいは起業のチャンスともなる。

 

我が国国民の外国語下手というのは、このように我が国の存続のためには案外、良いことなのかも知れない。我が国の英語教育という政策は、「美しい日本」を唱える方の大いなる矛盾を明らかにしている。これは矛盾を超えたバカの所業と言わざるを得ない(笑) また、日本語脳を得た外国人が増えれば、それだけ「同化」の度合いも増し、フュージョンの可能性も高くなるものと思われる。

 

言語は国民性も支配する。旧皮質にタガログ語、新皮質に英語を持つフィリピン人を見ればイイ

 

出来るだけ、身近なエピソードを挟むようにしております(笑)

 

いわゆる「ウヨ」の皆々様も、そろそろコノ現実を直視した方が良いのでは?

まあ自律モードでは動く脳が無いのなら仕方ないが・・(笑)

 

 

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