同化?共生?~極相の姿 | HublessHUB皆がTop of the world!

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先に、多民族の国家である、マレーシアを題材としたTV番組ルポをお伝えした。マレーシアは政治はマレー系、商業は華人系、技術部門はタミル系といった棲み分けの傾向も見られるように思う。他方で我が国に於いては諺で「郷に入っては郷に従え」とあるように、異民族の流入にはその同化を促そうという傾向も見られる。「共生」というコトバは今日的なキーワードのひとつだとは思う。しかし、現実問題としてその将来像を具体的に想像、予想、また我が国のあるべき「極相」の姿として認識する向きは、まだ少なそうに思われる。

 

簡単に言えば「共生」とは、互いの違いを認めて、それを尊重して仲良くしよう。という考え方だろう。また異集団としての交流も行おう。ということも含まれるのかも知れない。私はマレーシアへ行った気がして(笑)そのルポを書き上げ、その時に感じたのだ。同国社会は3民族の共生社会ではあるが、それは地理的にも分野的にも、また血縁関係的にも分離した「棲み分け社会」であるように思われた。例えば公園でのタミル系の婦人姉妹、多分「第三世代」であろうが、見たところ純粋のタミル人である。人種民族的には、他民族との交わりは無い、あるいは極めて稀なのかも知れない。

 

ここで、我らのホームグランドである、フィリピン共和国ではどうだろう?いちばん身近な存在である妻からだが、母親の最初の亭主の娘(長女)であり、その父親は「ハーフ・スパニッシュ」だと自慢げに話していた。交際中の話である。それで母親は「土着系」だと笑っていたが・・。まあ見たところはマレー系に華人系がやや混ざっていただろうか?そもそもフィリピンに華人が入って来たのはスペインよりも古い。そして最も古いのがバランガイ船でやって来たマレー系の移民であろう。これらは紀元数世紀という説もあるので、ごく最近の変化を考えなければ、フィリピンの人種構成は極相状態に近いと思われる。また長い年月が経っているからか、マレーシアと比較すれば混交も進んでいる。地域的な住み分けも無いことはないが、寧ろそれは人種ではなく所得階層での棲み分けだと思われる。ただ一部の華人たちは市内北部のエリアに固まっている。中華街である。ここには華人専用の学校もある。恐らく民族教育等も行っているのだろう。勿論私学である。フィリピンはサマサマ(いっしょ)、ハロハロ(ごちゃ混ぜ)というコトバに代表されるように、一部は棲み分けが見られるが、同化もまた進んだお国柄である。

 

さて、我が国は「第三の波」を迎えてまだ1世紀にも満たない。まあ禿山に草が生え、これから低木が育ち始めようかという時期である。いっぽうマレーシアに戻るが、同国での棲み分けには宗教的な背景が大きそうである。マレー人はムスリム、インド人はヒンズー、華人は儒教の背景を持つ。これらは人種間の混交には阻害要因として働くであろう。またこの宗教的背景が異なることは同時にリスクも内包する。今は共生関係にあっても、それが崩れると大変な事態となる。これはアラブ地域やボスニア・ヘルツェゴヴィナ等で実証済みである。我が国には神道に仏教が融合した、特異な宗教観がある。そして国民ひとり一人、概ね何でもありだ。そういった寛容さから、外国人との混交(フュージョン)が進むなら良い事かも知れない。また日本人は多くが外国語は苦手である。だから我が国で暮らす外国人にとっては、日本語の習得は殊のほか重要な事項となっている。日本人はなかなか歩み寄れないので、外国人から歩み寄るしかないのである。

 

但し、我が家は例外である。妻は外出も殆どせず、友達もいないで過ごしている。コトバは必要に応じて覚えるものだが、その点で最初にこちらが歩み寄ってしまったのである。当然本人は覚える気などサラサラ無い。先にも書いた事だが、我が国で生まれた子供は我が国の環境で育ち、また我が国が祖国となるものである。但し「第二世代」など、極相へ至る前段階である過渡期においては、2つのアイデンティティというのが、彼らを彼らたらしめる重要な要素として尊重されることは切に望まれるのである。

 

最後は少し、オチ入れました(笑)

 

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