2通りの当事者~インドネシアを「ネシア」と呼ぶ | HublessHUB皆がTop of the world!

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EVITA妻と暮らし20有余年、奇天烈語学鬼の凡ゆる壁や檻を打ち破る我が闘争の物語。身近な国際モンダイから日比~途上国関係者の
地位向上イメージアップへの支援と国際連携。魂とココロの開放と宇宙的~ミクロまでの調和と皆が主役の真ミレニアムが(Miriam)女神の願い

本日2本目の記事である。昼の記事の後日談ながら天の声(笑)をキキ、これも外せない~と思い述べる。私は日/比に関わる当事者の一人なのであるが、この狭い世界においても、フィリピンへの関わりの仕方にも、大きく2つの関わり方がある。これはフィリピンだけでなく、日米なんかでも言える。簡単に述べると米国と関わって米国が好きになる方と、嫌いになる・・とでも言うか、何度も海外旅行へ行った挙句、古い言い方だが「国粋的」*な方向へ進む方がいる事実である。

 

昨日の話の中で、私がある社団法人の一員だったと述べた。その業務の一貫として、インドネシアのジェトロのような機関から依頼があり、同国のノンミガス(原油以外の輸出産品)の我が国における市場の可能性調査を引き受けることとなった。法人は公的な団体でもあったので、特定のクライアントからのライバル調査という主目的をカモフラージュする為にも、それは利益度外視でも重要な業務であった。そこで具体的な市場を幾つか上げ、そのレポートを作成、更にはジャカルタでのフォーラムでスピーチも頼まれた。個人的にはてんやわんやであった(笑) 受けを狙うため、スピーチの冒頭はインドネシア語で始めようと思った。当時はフィリピンと関わりだして数年しか経ていなかった。ただ幸いにもインドネシア語はフィリピン語とも類似していた。ちょうど通勤途中にあったスクールで短期間だが受講できた。留学生のインドネシア人の女性が先生だった(^^)。原稿が出来て、先生に直して貰った(笑)

 

この案件は当然、上司から降りてきたものである。これもまた先述した上司であるが、私はインドネシアの事を「ネシア」「ネシア」と呼び捨てにすることが耳に障った。例えばフィリピンを「ピン」と呼び捨てられると、大抵良い気はしないものであろう。この上司は商社と組んで、フィリピンの自然林を禿山にした指揮官であった。まあ彼も雇われ人であったのだが、そういう立場が彼をそのように形作ったのであろう。このことで、彼との溝は段々と深くなっていった。

 

このように、ひとつフィリピンと関わるのでも、当事者として現実を直視し、その行うことが結果どうなり、その国の将来に渡って深い傷を残しはしないかと思い遣ることが出来るのか?恐らく大会社の事業部長という立場まで上り詰めれば私だってそれは難しいだろう。だから彼を責める気は毛頭ない。ただ立場ありきで、その所業を正当化しようとすれば、フィリピンを「ピン」と呼ぶようになっても不思議ではない。同じ理由で「ネシア」と呼び捨てるのは我慢ならなかったのである。現在の日/比の当事者でも、似たような理由だろう。だから先に二種類の方がいると述べたのである。

 

ただ勿論、海外を知って我が国の良さ、有難さを再認識する場合は多々ある。フィリピン滞在の最終日に、スーパーマリオのような空港の様々な試練を抜け、その搭乗口に辿り着いたとき、いつも何物にも代えがたい安堵感に襲われる。我が国は我が国の良さがある。ただし、「国粋的」になるのは本人の自由だが、他国を貶めたり、一段低い相手として接するのは相手のある事であり、違うと思うのである。

 

PS.

初稿では、〆の弱さが気になった。後で何度か読み直し、そのまま〆を追加しました(笑)

 

*我が国を粋な国だと思う。このこと自体は良い事だと思います。私も美しい国であり続けて欲しい。ただ、相手(外国人)も自分の国に同じ思いを抱いていること、他者の視点を忘れて欲しくないのである。

 

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