深層昭和帯

深層昭和帯

映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

もう秋か。齢を取ると1年が早いのぉw

 

この記事は消込用なので、記事ごと消されて構わない方だけコメントしてください。

 

 

1、「アオのハコ 第2期」制作:エレクトリックサーカス

 

1期は良かった。でも評判は悪かったらしい。2期も期待。

 

2、「ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です!」制作:P.A.WORKS×アクタス

 

P.A.WORKSがガルパンのスピンオフをやるんか。ちょっと期待。

 

3、「彼方から」制作:スタジオディーン

 

ひかわきょうこ原作のアニメ化作品。来期の少女漫画枠として確保。

 

4、「彼女の友達」制作:Quad

 

ありがちなシチュエーションですけど。

 

5、「恐怖コレクター」制作:NHKエンタープライズ

 

制作はおそらく違う会社のはず。記載ミスっぽい。

 

6、「凶乱令嬢ニア・リストン 病弱令嬢に転生した神殺しの武人の華麗なる無双録」

 

これはどうかなぁ。とりあえず1話だけ。

 

7、「薬屋のひとりごと 第3期」制作:OLM

 

ようやく来たか。これは間違いない。前回は反乱軍との戦いまでか。

 

8、「幻想水滸伝」制作:KONAMI animation

 

中華アニメじゃなければ。でも制作は一応コナミなんだな。

 

9、「PSYREN サイレン」制作:サテライト

 

とりあえず1話だけ。

 

10、「死亡遊戯で飯を食う。44:CLOUDY BEACH」制作:スタジオディーン

 

以前にタイトルだけ見たことある?

 

11、「朱色の仮面」制作:100studio

 

とりあえず1話だけ。

 

12、「獣王武神ダンデヴァイン」制作:ライデンフィルム、カヤックアニメーション

 

いまどき合体ロボかぁ。どうかな?

 

13、「生徒会にも穴はある!」制作:パッショーネ

 

パッショーネ生存確認。

 

14、「#ゾンビさがしてます」制作:スタジオコメット

 

大穴狙い。意外に良いかもよ。

 

15、「ダークサモナーとデキている」制作:AtoriE

 

これもラブコメかぁ。多いなぁ。

 

16、「TANK CHAIR 戦車椅子」制作:ポリゴン・ピクチュアズ

 

ポリゴン・ピクチュアズ久しぶり。

 

17、「デモンズ・クレスト」制作:Production I.G

 

オレはIGを信じる。

 

18、「とある暗部の少女共棲」制作:J.C.STAFF

 

とあるって見たことないんだよね。どんな作品が面白いの?

 

19、「東京リベンジャーズ 三天戦争編」制作:ライデンフィルム

 

もう内容忘れちまったよ。実写が挟まると間延びするんだよな。

 

20、「どうも、好きな人に惚れ薬を依頼された魔女です。」制作:ディオメディア

 

切ない系らしい。とりあえず1話だけ。

 

21、「鳴海の平日」制作:Production I.G

 

怪獣8号のスピンオフ?

 

22、「バーテックスフォース」制作:SMDE

 

高村和宏監督なので期待。

 

23、「Battle Spirits [Re] 絶界の空」制作:BN Pictures

 

これはどうやろか? 作画次第かな。

 

24、「ホタルの嫁入り」制作:david production

 

雰囲気は良さそう。

 

25、「マロニエ王国の七人の騎士」制作:J.C.STAFF

 

まるで知らない作品だけど。

 

 

以上。

 

いまのところ、どれも小粒に見えるが、始まってみないとわからない。もっと追加されてくるかもわからないし。

 

アオのハコ Season2 キービジュアル

 

 

 

大曾根辰夫監督による日本の時代劇映画。出演は阪東妻三郎、津島恵子、山田五十鈴。

 

映画ポスター 阪東妻三郎 山田五十鈴 津島恵子

<あらすじ>

神尾喬之助は、年賀の礼を尽さなかったと御番所の面々に詰め寄られた。真面目な彼は私腹を肥やす連中の目の敵にされていたのだ。反神尾の急先鋒組与頭戸部近江介は、園絵が神尾の妻になったことも気に入らない。汚いやり口に業を煮やした神尾喬之助は、戸部近江介を斬って姿を隠した。

曲がったことが嫌いな茨右近とお紘の家に匿われた神尾喬之助は、悪党に天誅を加える決心を固めた。茨右近は神尾喬之助と瓜二つ。神尾に次々斬られていく悪党たち。恐怖に怯えた彼らは剣豪と名高い神保造酒に助太刀を頼んだ。園絵に懸想する彼は、彼女の身体と引き換えに話に応じた。

誘拐された園絵だったが、名奉行大岡越前守の盟友魚心堂に救出された。激怒した神尾喬之助らは悪党の屋敷に乗り込んで大立ち回りを演じた。そこに番所より人が参集してくる。

沙汰を知った大岡越前守は神尾喬之助を呼び出して裁きにかけた。神妙に達しを待つ彼に大岡越前守は、お前は人違いであると言い渡し、江戸払いを命じた。こうして神尾喬之助と園絵は、仲良く江戸を出立していった。

<雑感>

最後の大岡裁きのところは、神尾喬之助を茨右近だといって連行し、いやお前は人違いの左近だと告げて江戸所払いにしている。悪党以外誰も傷つかない因果応報のチャンバラであった。阪東妻三郎が二役で演じている。

茨右近の妻お紘が山田五十鈴で、まだかなり若いころなので瓜実顔の大変な美女である。園絵役が津島恵子なのかな。こちらも新人に近いころのはずで、津島恵子の顔になる前の顔とでもいうのか、まだ彼女の個性が出てくる前の、華が満開のころだろう。

☆5.0。パブリックドメイン版なので画像は悪いが、たまらん面白さであった。

 

 

 

 

 

市村泰一監督による日本の時代劇映画。出演は栗塚旭、和崎俊哉、石倉英彦。

 

燃え剣 ポスター 市村泰一監督

 

<あらすじ>

 

近藤勇は土方歳三の義兄が営む道場に出稽古でやってきていた。そこでふたりは知り合うが、流派が違うゆえに交わることはなく、それどころか互いの流派の面目をかけて木刀で打ち合うこともあった。ふたりが交わるのは京に入ってからのことであった。

 

近藤勇を立て、新選組として活動を始める土方歳三。そこでも美しい女性・佐絵を巡って土方歳三と七里研之助は争った。七里研之助とは何度戦っても決着がつかない。そして、勤王派の一味として佐絵が捕まると、彼女から池田屋の情報がもたらされる。

 

新選組にはもうひとつ、丹虎にて密会の情報ももたらされていた。迷った近藤勇は隊を二手に分けて御用改めに入った。すると正しい情報は佐絵がもたらしたものとわかる。そしてまたしても土方歳三と七里研之助が相まみえることになった。

 

だが、結果はあっけなかった。土方は佐絵の元へと走るが、彼女は自害して死んでいた。

 

<雑感>

この映画自体は実はどうでも良くて(おいおい)、オレの目当ては小林哲子さん。「海底軍艦」でムウ帝国の皇帝役を演じた女優さんだ。小林哲子目当てなので、他はどうでもいい。

ところがこの映画が思っていたより良くて、ついつい見入ってしまった。昔のチャンバラ映画は重厚感があってさすがの面白さである。原作が古いので新撰組に関する考え方などいまと随分違うが、チャンバラ映画として評価するならかなりレベルは高い。

目当ての小林哲子さんもさすがの気高さで、今回の役は身売りする女から命を救われ京都に流れていく役どころだが、凛とした佇まいが素晴らしい。和装からムウ帝国の衣装まで似合う素晴らしい女優さんでした。

「不良少女と呼ばれて」というドラマに出演していたとき、すぐにムウ帝国の皇帝だってわかる存在感でした。というよりオレが特撮脳なだけだが。

パブリックドメイン作品で途中音声が悪いところもあるが、観ておいて損はない作品。昨今の新しい作品は当たりはずれが激しいが、昔のチャンバラは役者に味があってどれを拝見してもそれなりに楽しめるのがいい。

☆4.0。もう一度日本映画黄金期が訪れてくれたらと願うばかりである。

 

 

 

 

小沢茂弘監督による日本の時代劇映画。出演は若山富三郎、野川由美子、片岡千恵蔵。

 

賞金稼ぎ 薩摩の首 若山富三郎

<あらすじ>

宝暦2年(1752年)、オランダが無条件和親条約を幕府に持ちかけた。その見返りに最新式のゲーベル銃を幕府に提供するという条件だったが、時の将軍徳川家重(鶴田浩二)はこれを拒否。するとゲーベル銃を満載したオランダ船は船首を変え一路討幕の意思を持つ薩摩へと向かった。

薩摩の江戸家老伊集院右京(片岡千恵蔵)は江戸城へと呼び出され、薩摩の蜂起の有無を問い質された。そこで伊集院右京は家重の内戦回避の意思を汲み取り、オランダと交渉しないよう薩摩藩主を説得するために国元へと戻ることとなった。しかし、関ケ原の合戦以降ずっと討幕の意思を失わない薩摩がどのような反応をするか分からない。また江戸城内には牧野豊後守のように薩摩お取り潰しを狙う者もおり、内戦へと発展することを怖れた家重は蘭学者であり凄腕の賞金稼ぎでもある錣市兵衛(若山富三郎)を薩摩へと向かわせることとなった。

錣市兵衛は道中で知り合った陽炎(野川由美子)が牧野豊後守の差し向けた隠密であることを見抜き、江戸幕府、薩摩、ひいては日本のためにどうしてもオランダと薩摩の交渉を成立させてはならないと奮闘する。

薩摩領内に忍び込んだ市兵衛は、江戸家老伊集院右京と接触し、薩摩に蜂起を思いとどまらせることを約束させる。ところが薩摩藩主島津重年は掟堂二階堂(天津敏)などの強硬派の意見に傾き、オランダの条件を受け入れ、ゲーベル銃1000挺を手にしたのちに討幕へ打って出る旨を伊集院右京に打ち明けた。

それを聞いた右京は観念し、自分も薩摩の人間だから藩主の言わんとすることはよくわかる。そういうことならば反対しないからオランダとの調印にはぜひ自分を遣わして欲しいと頼み込んだ。

右京に裏切られ、掟堂二階堂に捕らえられた市兵衛は、薩摩で知り合った忍びの茜の助けを受けて、裏切り者の右京と対決した。ところが肝心の右京はすでに陰腹を斬っており、死ぬ覚悟でいた。なぜだと問うと、彼はオランダと交渉すると見せかけて船に乗り込み、持ち込んだ爆薬で船ごと破壊してしまうつもりだったという。

伊集院右京の死を賭した薩摩、日本国への忠義に心打たれた市兵衛は、右京の代わりに爆薬を背負ってオランダ船に乗り込み、薩摩お取り潰しのために暗躍していた陽炎とともに船を爆破して、日本を内戦の窮地から救い出した。

<雑感>

 

60年代から70年代にイタリアが製作した西部劇(通称マカロニウエスタン)の影響を受けた、痛快時代劇になっている。

大体こんな内容なのだが、オランダが幕末のイギリス、フランスみたいなことをやった史実はもちろんなく、そういう歴史的なことを描こうとする内容ではない。要はチャンバラがそこにあれば何でもいいというまさにマカロニウエスタン的な発想の作品である。

 

マカロニウエスタンがそうであるように、細かい考証や深い人物造形とは無縁の、表層的な設定だけを拝借した時代劇なので、歴史ファンなどはあまり好きじゃない類の作品だ。これはあくまでエンターテインメントとして楽しめる人にしかお勧めできない。

「賞金稼ぎ 薩摩の首」の魅力は、まずヤクザ映画が主流になっていた日本映画界に、マカロニ的安易さを真似て活劇のみの時代劇があってもいいじゃないかと開き直ったことにある。市兵衛を演じた若山富三郎の殺陣の見事さ、速さを埋もれさせることなく世に出した功績は大きい。伊集院右京を演じた時代劇スターの片岡千恵蔵は、安易なチャンバラ映画の中でもその重厚さを失わず、快刀乱麻の活躍を見せる市兵衛が彼との対決シーンで突然「負ける、殺される」と急に弱気になっても違和感を感じさせないだけの有無を言わせぬ説得力を発揮している。

また薩摩のわからずやの強硬派掟堂二階堂を演じた天津敏の独特の眼力も、作品に独自の色合いを加えている。彼は劇中で悪役ながら、思い込んだら一筋の曲がらぬ男を好演している。悪役顔なのに、あくどさや卑怯さを感じさせない、凛とした悪役とでもいおうか、独特の俳優なのだ。

陽炎を演じた野川由美子もまたそうだ。妖艶な美女の役で、濡れ場もあるのに、決して売女には見えない美しさがある。男に媚びない強さがあるから、最後に市兵衛を好きだと告白するシーンが生きてくる。最近の恋愛脳が生み出す、何の有難みもない告白とはまったく違う、心をすべて持っていかれそうな美しいシーンであった。

若山富三郎は現代的な意味では美男子ではないだろうし、戦前から戦後の美の基準からも外れてはいるが、コロコロした体系の丸顔の男のやんちゃな格好良さがある。「座頭市」で有名な勝新太郎は若山富三郎の弟だが、殺陣はおそらく兄の若山富三郎の方が巧い。

小道具に凝っている作品でもあり、市兵衛が仕込んでいる様々な武器が劇中で遺憾なく使われていて楽しめる部分だ。小道具は凝ってるが、大道具は低予算のせいかちゃちである。90分でお代の分はしっかり楽しませてくれる作品である。

☆5.0。重厚さを求めなければこんな楽しいチャンバラもない。
 

 

 

 

 

マキノ正博監督による日本のコメディ映画。出演は片岡千恵蔵、広沢虎造、沢村国太郎。

 

清水港参道中 映画ポスター

<あらすじ>

舞台監督の石田は森の石松の演出に頭を悩ませていた。森の石松は金比羅代参の岐路で死ぬ。映画なのだから変えてはとアドバイスを受けるが、史実は変えられぬと彼は突っぱねた。ところが翌日、目覚めると彼は森の石松になっていた。混乱する彼だがやがて事実を受け入れ、金比羅代参の日となる。

このままでは死ぬ、そう思った彼はお文に相談。お文はでは自分がついていきましょうと歴史改編のきっかけを与える。ところがやはり石松はピンチに。そして斬り殺されたところで目が覚めた。

<雑感>

オチの部分がない。これも短縮版であるためだ。途中まであまりに面白すぎるために残念で仕方がない。でもないものはないのだから諦めるしかないのか。

☆4.0。片岡千恵蔵のカッコ良くもコミカルな石松の演技に痺れる。でもこのままだと単なる夢オチなんだよな。このあと石田が石松を殺さない演出を出さないと収まりが悪い。

 

 

 

 

 

伊藤大輔監督による日本の時代劇映画。出演は北大路欣也、中村錦之介、有馬稲子。

 

徳川家康 映画ポスター 中村錦之助 北大路欣也

 

<あらすじ>

 

天文11年。群雄割拠の東海地方・岡崎で、後の徳川家康こと竹千代は生を受けた。駿河の今川家と尾張の織田家に挟まれ、弱小国の岡崎は苦境にあった。そんななか、竹千代の母・於大は織田方の城主と政略結婚を強いられ、竹千代も今川へ人質に出される。

 

<雑感>

 

山岡荘八の原作を伊藤大輔が脚本に起こし自ら監督した作品。徳川家康が生まれる前から桶狭間の戦いまでが描かれている。

岡崎の松平家に生まれた竹千代が、母との別離、尾張、駿府での人質生活を経て今川義元の下で元服、尾張攻めでの大高城兵糧入れから岡崎城帰還を果たすのだが、これに織田信長の一計が絡んでいるという設定。信長は誘拐した竹千代の保護から彼の母である阿久比の於大の方への援助などを、のちの同盟に繋がるものと最初から見抜いていたかのような話になっている。もちろんこれは作劇上の都合でこうしているだけで、実際は違う。

信長の先見の明を中心に置いて、話の筋を通しているのだ。いまは時代考証にうるさい人が多くてこうした工夫がやりにくくなっている。「劇を作る」ことと「歴史を映像化」することは違って当然なのに、史実と違うと難癖をつけるのはどうかしてると思う。そんなことばっかりやってるから作劇のレベルは落ちる一方だ。

この映画の時代劇のフォーマットは非常に古く、時間経過を演出するのに文字に起こした暦を進めたり、時計を二重写しにする。そうした部分に凡庸さを感じる向きもあろうが、暦や時計を使って時間軸を説明する方法は、伊藤大輔監督らがやり出したことなのだ。いわば元祖。こうした手法の発明で、時代劇が作りやすくなったのだ。

作品の魅力は何といっても役者の演技の素晴らしさだ。「徳川家康」なのに主演は織田信長役の中村錦之助(萬屋錦之介)、肝心の徳川家康(劇中ではまだ松平元康)は若手俳優だった北大路欣也が務めている。この両役者の演技が本当に素晴らしい。

カカと笑うだけで絵になる萬屋錦之介はもとより、北大路欣也も負けず劣らずの熱演である。三河武士相手に散々演説する役どころだが、一本調子にならず、グイグイ話に引き込んでくれる。脇を固める役者もすべて素晴らしく、文句のつけようがない。こんな名優をたくさん使えた時代の映画監督はさぞ幸せだっただろう。いまなら全部エグザイルがやりそうだ。

2時間23分に及ぶ超大作ながら、時間を感じさせない面白さだ。

それに、最近の歴史ファンはゲームから入った人が多く、徳川家康といえばタヌキ親父といったステレオタイプなイメージしか持っていない人が多い。山岡荘八の原作から入った人が多い時代とは、家康のイメージが本当に変わってしまっていると感じる。タヌキではなく、ひたすら辛抱に辛抱を重ねてきた熱血漢だということを知ってもらうには良い作品かもしれない。

家康は信長などよりよほど頭に血の登りやすい人物像なのだが、信長の下、秀吉の下では我慢するしかなかったのである。あまりに頑なな武士である戒めとして、三方ヶ原の脱糞の肖像(違うとの説が優勢)も描かせたくらいである。この映画における北大路欣也の熱演は、徳川家康のイメージにはぴったりだと思う。

☆5.0。古い作品で、時代考証も確実ではないが、良い時代の良い時代劇だと思って楽しんで欲しい。

 

 

 

 

 

小沢茂弘監督による日本の時代劇映画。出演は市川右太衛門、加藤武、品川隆二。

 

映画「新選組血風録」近藤勇と隊士たち

 

<あらすじ>

 

幕末風雲急を告げる元治元年六月、守護職松平容保の配下にあって京の治安を一手に委ねられていた新選組は、隊長近藤勇以下倒幕派の志士が結集する池田屋に凄絶な斬り込みをかけた。江戸深川、北辰一刀流の伊東甲子太郎が篠原泰之進他門弟を引き連れて新選組に投じたのはその年の暮だった。

 

伊東は新選組を倒幕派に引き込もうとする下心を秘め、篠原は女と酒にひかれての京入りだった。

 

慶応元年、新選組は総勢百五十名に達し、局長近藤勇、副長土方歳三、山南敬助、伊東は参謀に篠原は監察の任に就いた。慶応二年、薩長土三藩の連合体制成り、藷藩の勤皇浪士は競って上洛、一触即発を防ぐものは新選組あるのみだった。だが、新選組の内部でも伊藤一派が分離を申し出、篠原も近藤の信頼を得、彼の人間味にひかれながらも鉄の規則に反撥して脱隊した。

 

慶応三年、伊藤以下は御陵衛士を拝命、新選組一同は直参旗本に取り立てられた。将軍慶喜は大政を奉遷、だが新旧勢力の衝突は収まらず坂本竜馬が暗殺されるに及んで対立は頂点に達した。篠原の反対にも関らず伊東派は近藤を暗殺、一挙に討幕の兵を挙げんとした。これを密偵から聞いた土方は、七条油小路において伊東を暗殺した。篠原は近藤が闇討ちをする男ではないと信じ死体引き取りのため油小路に向ったが、新選組の襲撃にあい血路を拓いて姿を消した。

 

数日後、近藤は土佐海援隊の陸奥陽之助に書状を届け、坂本竜馬暗殺の件で話合いたいと一人天満屋で待った。その前に姿を現した篠原の剣は、しかし近藤の鉄の意志に満ちた言葉に動揺、次の瞬間には近藤に襲いかかった海援隊士を斬っていた。近藤の豪刀が阿修羅の如く荒れ狂い、救援に馳けつけた新選組と海援隊士の間に凄絶な死闘がくりひろげられた。これが新選組の最後の勝利の闘いであった。

 

<雑感>

司馬遼太郎「新選組血風録」の映画化作品。なぜか主人公が近藤勇。時期としては池田屋から天満屋までとなっている。原作が好きなのでどんな感じかなと思ったら、タイトル通り近藤勇主人公だったのでちょっとガッカリ。大変な堅物として描かれていた。

そんなことより主演が市川右太衛門であることに驚いた。市川右太衛門はオレが生まれる前の銀幕のスターで、名前だけは知っていたが、実際の映像を見たのはおそらくこれが初めて。「旗本退屈男」の早乙女主水之介の決め科白は知っているけども、西川のりおのネタで知ってるだけで観たことはない。天下御免の向こう傷がなぜついたのかも知らない。

映画評としては近藤勇という時勢の読めない頑固な時代遅れの男を、徳川幕府に最後まで尽くした義の人として描いている・・・はず。ところが近藤は別に義があって新選組を組織したわけでもないので、なんか中途半端な印象だ。近藤は義の人だけど土方歳三やらが言うことを聞かな過ぎて対応が後手に回り、空回りしている様がなんか滑稽になってる。

これは当時のチャンバラ映画のフォーマットに納めるには、司馬遼太郎は深く人間を描きすぎているためではないだろうか。主人公が斬り捨てた人それぞれにドラマがあり、斬ることが殺人として意識されると、当時の「多く斬った方が見栄えがいい」から人を撫で斬りにするチャンバラの枠に収まらなくなる。

 

萬屋錦之介主演で映画化された剣豪もの「宮本武蔵」なら人間宮本武蔵とチャンバラが共存できたが、時代が幕末ともなるとそうは単純に斬れなくなり、それでも京で人を斬りまくって存在感を示した新選組はもっと別のフォーマットで描く必要があったのかもしれない。その点が中途半端だったために近藤勇がおかしな雰囲気になったと感じた。

近藤勇の描き方としてはあまり上手くないものの、市川右太衛門の演技が素晴らしくて滑稽に振れてしまいそうな近藤勇像を引き締めている印象だ。上手い役者でなかったらあまり良い映画になっていなかったかもしれない。さすがチャンバラ映画全盛期の俳優だけあって殺陣は素晴らしい。

サイレント時代の俳優との認識だったが科白も達者で昔の役者らしくまばたきをしない。

もっと観たい俳優だが、映画を引退して舞台に軸足を移したらしく、ほぼこれが最後の作品のようだ。片岡千恵蔵はまだいくつかの作品で観られるが、市川右太衛門は戦後だとあまり良い作品に出演していないらしい。

☆5.0。トーキー時代の映画の吹き替え版があればいいのに。

 

 

 

 

 

三隅研次監督による日本の時代劇映画。出演は勝新太郎、天知茂、万里昌代。

 

座頭市物語 映画ポスター 勝新太郎

 

<あらすじ>

 

座頭の市という盲目が、日光で知り合ったヤクザの親分の家に身を寄せるところから始まる。親分は市の居合抜きを見て感心し、いつか自分の家に立ち寄ってくれと約束をしていた。訪ねてきた市を歓待した彼は、町で起こっている新興の組との抗争に助太刀してくれないかと頼んだ。

いったんは金で引き受けた市であったが、釣り場で知り合った剣客が対抗する組の用心棒であると知り、助太刀を躊躇うようになる。なぜならその剣客だけは市をめくらと侮らず、鍛えた身体の様子からただ者ではないと見抜いてくれたからだった。

結核を患うその浪人は、市を気に入ってなにくれとなく世話を焼いてくれたが、一方でその腕前を自分の眼で見てみたいという欲求も持ち続けていた。

いざヤクザ同士の出入りとなったとき、市は剣客との戦いを躊躇って助太刀を断った。すると面倒を見てきた親分は腹を立ててすぐに出て行けと市に命じた。親分は敵の助っ人として雇われていた剣客が血を吐いて倒れたと知っていたので、市を必要としなくなっていたのだ。

旅立つ前、抗争の場へと足を運んだ市はそこ争いに敵の助っ人が病を推して参加しているのを知った。剣客は市との戦いを望み、決闘となったが、すでに病は進行し腕を落としていたその侍はあえなく市に斬られて死んでしまった。

市はそれを嘆き悲しみ、勝利に浮かれる親分を罵倒して立ち去り、侍の供養を営もうとする寺に立ち寄って自分の仕込み杖も一緒に埋めてくれるように頼み込んだ。

 

<雑感>

「座頭市」は全部観たと思い込んでいたが、この白黒の座頭市は初見だった。「座頭市」は観たものと思い込んでいままでスルーしていた。危うく見逃すところだったわ。

たしかに第1作だけあって座頭市の描き方が丁寧で、盲目でありながら他人に侮られることを嫌い、仕込み杖を振り回しながら剣技を磨き、按摩家業を辞めてヤクザ者として諸国を巡っている様子が細かく描写されている。

第1作のときはこの映画がこれほどヒットすると思わず、続編は考えられていなかったようだ。そこで仕込み杖の逸話になったのだろう。この映画のヒットによって、市は立ち寄った街の娘に惚れられてそれを振り切り去っていくというフォーマットが生まれた。

座頭市と言えば勝新太郎の殺陣だが、第1作はのちの作品と比較すればまだまだのレベルにある。当たり役となって勝新太郎が芸を磨いていき、のちの眼にも留まらぬ速さの剣捌きになっていたのだろう。

☆5.0。これはかなりの名作映画。上手い役者による自然な感情移入に身を任せているうちに最後まで進んでしまう作品だった。
 

 

 

 

 

河野寿一監督による日本の時代劇映画。出演は中村錦之助、月形龍之介、大河内傳次郎。

 

独眼竜政宗:中村錦之助主演の時代劇ポスター

 

<あらすじ>

 

戦国乱世の頃、陸奥の麒麟児伊達政宗は、知勇ともに勝れた若き武将として知られていた。豊臣秀吉は彼を恐れて、腹臣石田三成の縁つづきにある和田斉之を政宗の隣国に派遣した。政宗はこうした秀吉の意図を察して、鷹狩りでとらえた鶴を聚楽第の竣工祝いとして秀吉におくることによって、彼との親睦をはかった。

 

そのような政略を離れて、山野を勇壮にかけまわる時が、政宗にとって一番心楽しい時だった。そんな時秀吉と対立関係にある北条家とつながりをもつ、奥羽路の名家田村家から、息女愛姫を政宗にめあわせたいとの申し出があった。政宗は愛姫と対面し、その清らかな美しさにうたれたが、政略のにおいの濃いこの縁組みを断わった。

 

ちょうどその頃、秀吉の命をうけて隣国の和田斉之が政宗に対して挑発行為にでた。だが彼は逆に斉之を術中におとし入れて難を避けた。ますます脅威を感じた秀吉は暗殺団を送って政宗殺害を計った。だが、一味の矢を右眼にうけて重傷を負いながら、政宗は強胆な精神力をもって危機を脱出した。

 

以前に狩の途中で木こりの勘助から聞いた“白蛇の湯”という温泉郷に身をやすめた。彼の身分を知らぬ勘助と、その娘千代の素朴な愛情につつまれて、彼には、両眼がそろっていた時には知らなかった新しい世界がひらけてきた。

 

政宗の消息を案じた愛姫が“白蛇の湯”にたずねてきた。折しも、秀吉の軍勢が北条家討伐のため小田原に向って進撃をはじめたとの報が入った。そして同時に北条派の畠山軍が、政宗の父輝宗を人質にさらう事件が起った。所詮助からぬ父を、涙をのんで敵畠山もろとも射殺して、政宗は世の習いとはいえ政情に支配される自分の運命に泣いた。悲壮な心を抱いて、政宗は自分の右の眼をうばった秀吉と対面するため、粛然と兵を小田原に進めた。

 

<雑感>

「独眼竜政宗」は、渡辺謙主演による1987年の大河ドラマが有名で、自分もそれしか観たことはなかったが、萬屋錦之介の他、片岡千恵蔵主演のものもあるそうだ。片岡千恵蔵版の「独眼竜政宗」の監督は稲垣浩らしいので、ぜひ観たい。アマゾンプライムに追加されないかな。

この時代劇は精緻な時代考証に基づく作品ではなく、ベースになってる骨子はチャンバラ映画である。90分の中に政宗が立ち回りをするシーンが2度ほどあり、佐久間良子演ずる村娘とのロマンスも盛り込まれている。

若き日の佐久間良子は、薬師丸ひろ子によく似ている。伊達政宗と見合いをする愛姫の端正な顔立ちと、佐久間良子の丸顔が対比させてあるのだが、丸顔って日本的というか、男性にはこちらの方がウケは良いはずだ。正式なヒロインは佐久間の方だから、当時から人気があったのだろう。

薬師丸ひろ子は角川春樹に認められてスクリーンデビューした女性だが、端正な美人でもないのになぜと当時はよくからかわれていた。しかしこうして佐久間良子を見てみると、彼女が選ばれた理由がなんとなくわかる気がする。憧れや尊敬より親近感のある顔の方が売れると踏んだのだ。

物語は、元服し、伊達家60万石の跡取りとして頭角を現してきた政宗を、太閤秀吉が「腿の腫物」と称して暗殺者を差し向けて殺そうとするが、右目を負傷させただけで取り逃がすところから、片目となったことを気に病み、素行が荒れる場面を経て、秀吉の北条攻めに遅参する場面で終わる。

歴史が好きな人には、伊達政宗が片目になった理由が疱瘡でないこと、片倉小十郎が太刀で眼を抉る場面がないこと、父輝宗を政宗が撃ち殺してしまっていること、小田原攻め遅参の際の死に装束の描写がないことなど不満な点は多くあるはずだ。歴史考証は正直滅茶苦茶である。

だが、この時代の時代劇は、時代考証などより作劇の面白みが重要視されていたので、90分で伊達政宗を描くにはどうしたらいいかに重点が置かれており、劇を盛り上げるためには政宗の年齢などは適当にごまかされる。時代考証が厳しくなったのは80年代に入ってからだと思う。それまでは一部の歴史ファン以外に、時代考証は気にされていなかった。

萬屋錦之介の舞台的な演技が存分に楽しめる作品。

☆5.0。「宮本武蔵」でお杉ババアを演じた浪花千栄子が、政宗のばあや役をやっていて個人的にツボだった。
 

 

 

 

 

内田吐夢監督による日本の時代劇映画。出演は中村錦之助、高倉健、入江若葉。

 

宮本武蔵 巌流島の決闘 ポスター

 

<あらすじ>

吉岡道場門弟による果し合いを退けた宮本武蔵は、京を出た道すがら、刃を研ぐひとりの小僧と出会う。聞くと小僧の父親が死に、死骸を墓まで運ぶには重すぎるので切断するために刃物を研いでいるという。小僧を哀れんだ武蔵は朝を待って父親の亡骸を馬に乗せて運び、墓まで掘るのを手伝った。

落ち穂を拾い、それを育てて翌年の糧にしようとする少年の姿に心を痛めた武蔵は、しばし滞在し、少年とともに荒れ地を耕し、共に生活すると決めた。

翌秋のこと、何とか2俵のコメを収穫した武蔵らは、村の寄り合いにそのコメを預けた。するとそれを待っていた野伏が米蔵に襲い掛かってきた。武蔵は馬を駆って野伏を仕留めていった。それを伝え聞いた細川家が遣いをやると、すでに武蔵と少年伊織は江戸へ向けて旅立った後であった。

江戸にて滞在し、その兵法が有名になりつつあった彼は幕府剣術指南役に推挙された。ところが吉岡剣法道場の跡取りの少年を刺殺してしまったことが幕閣の間で問題にされ、協議の挙句に推挙は取り消されてしまった。仕官の道が閉ざされた武蔵は一筆を求められると金屏風に心に乱れのない絵を描き残して去っていった。

伊織を連れ京へと戻った武蔵は、細川家の剣術指南役に任じられた佐々木小次郎の申し出によって決闘することとなった。若くして大役を射止めた佐々木小次郎は思い上がり、細川家家老長岡佐渡が武蔵を評価することが気に食わず、軽口ついでに大言を吐いたのだった。姪を佐々木小次郎に嫁がせようと目論む細川家家老岩間角兵衛はこれを喜び、すぐにでも決闘して武蔵を討ち果たし、より佐々木小次郎の功名を高めんと欲したのだった。

しかしこれを伝え聞いた藩主細川忠利は、万が一にでも小次郎が敗れた場合の細川家の面目はどうなるかと心配した。そこで岩間角兵衛は臣下を集め、決闘場のあちこちに人を伏せ、小次郎敗れたのちは口封じのために武蔵を討つ算段を整えた。これが気にくわなかった小次郎は、気を悪くして酒を多くあおった。

決闘が決まった武蔵は急ぎ九州へ出立することとなった。弟子に迎えていた伊織を遣いに出し、そのまま長岡佐渡に預けていっぱしの武士にしてもらうつもりだった。武蔵を訪れていた沢庵が姫路までの道案内を申し出てくれ、伊織は和尚に預けられることとなった。

いざ姫路へ辿り着き、別れの段になって沢庵和尚は伊織の巾着に目を止めた。それはお通の笛を包む布と同じものであったのだ。沢庵は伊織に向かってお通という名の女性を探せと話し、旅へと送り出した。

決闘は下関の離れ小島で行われることが決まった。決闘のことは評判となり、町衆はその話題で持ちきりだった。それは追い駆けてきたお通の耳にも入った。心痛に震えるお通は、そこで以前に縁のあった朱美と許嫁だった又八、そして敵討ちのために追いかけてきたお杉らと再会する。

朱美と又八は夫婦となっており、子もできて、旅芸人として暮らしていたのだ。長らく息子と会えなかったお杉は又八の武家とは思えぬ姿に涙したが、同時に安堵もして、武蔵への恩讐は憑き物が落ちたかのように消えてなくなった。

決闘の前日、宿泊した宿で武蔵は絵を2枚したため、1枚は宿の主人に差し出し、1枚は決闘場まで船を出してくれる人足に託してくれと主人に頼んだ。主人は武蔵が食事を少ししか摂らないことを心配したが、武蔵は動きが鈍るという理由でそれ以上は手を付けなかった。

浜辺で櫂を拾った武蔵は、その長さが佐々木小次郎と対決するのに向いていると見定め、またどうやら細川家が万が一のために暗殺者を隠してあることも見抜いて、それを削りながら潮が引く時間まで時を稼げるようゆるりと巌流島へと向かった。

前日、多くの酒を飲んだ佐々木小次郎は、余裕の体で巌流島にて武蔵の到着を待った。しかし武蔵はなかなか姿を現さず、刻限はとうに過ぎ去り、朝靄が立ち込める時間になってしまった。ようやく到着した武蔵は待ちかねた小次郎が剣の鞘を投げ捨てるのを見て己が負けだと喝破し、遠い間合いから櫂で作った木刀を振り下ろして一刀の下に小次郎の眉間を割った。

細川家の者が慌て姿を現したときにはすでに武蔵は船上にあった。

戦いに勝った武蔵だが、血で汚れていくばかりの己の手を見て、所詮剣は武器だと吐き捨てて櫂を投げ捨てた。

<雑感>

宮本武蔵5部作の完結編。見応えがある作品というのはこういうものだ。これは、剣豪宮本武蔵を吉川英治風に描いた作品を、さらに内田吐夢監督が脚色演出したものだ。

吉川英治らしいところは、武蔵が逃げる場面が多いところだろうか。剣豪ということで敵をばっさばっさと薙ぎ倒す講談風のつわものとして描かれることの多い武蔵だが、吉川武蔵ではお通さんという恋人を通じて人間らしいさまが強調されている。

そのおかげで講談では省かれることの多かった実際の武蔵の足跡を追うこともできている。最初の弟子である城太郎は本当は彼の最初の養子で、二人目の弟子である伊織も実際の武蔵の養子である。剣の求道者である一方で、幼い養子を育て、その成長を楽しんでいたのも事実なのだ。

2人目の養子の伊織は小倉藩主小笠原忠真に従って島原の乱に参陣。息子の縁で宮本武蔵もこの戦いに参加しており、投石によって負傷、そのさまを面白おかしく書にしたためて残している。

晩年は劇中にも出てきた細川忠利の客分となり、多くの門下を持ったまま世を去っている。その生涯は決して剣の腕が立つという意味での剣豪ではなかった。もっと戦いに赴いたときの気構え、立派に戦いながらも生き抜く術を滔々と説き、戦国の世の香りを感じさせ、またそれらの感覚を言葉にできる人だったはずだ。

内田吐夢が原作に加えたものは、おそらくは戦うこと、生き残ることの泥臭さではないだろうか。内田吐夢の宮本武蔵はほとんど相手と打ち合うことがない。一騎打ちにおいては遠くから相手の間合いに入って一撃で仕留め、すぐさま戦線を離脱する。カンカンと打ち合ったり鍔迫り合いをする場面はない。

集団戦においては常に走り回り、決して自分を囲ませない。走って走って相手がひとりになったらすぐさま斬り捨て、手傷を追わせてまた走る。自分を囲んだ敵がひとりひとり順番に斬りかかってくる場面はまったくない。多勢相手に正面から突っ込んでいって撫で斬りにすることもない。あくまで囲まれたら終わりなのであり、武蔵は囲まれないように動き回るのだ。

どんな戦いもいくさに見立て、戦術を考えた上で少しでも有利になるよう工夫し、目的を果たしたら脱兎のごとく逃げる。だから吉岡剣法道場の門弟との決闘では、武蔵が総大将と見立てた若き吉岡一門当主壬生源次郎を殺したのにまだ追いかけてくる門弟どもの気持ちがわからず、来るな来るなと喚き散らした。あれは恐怖に駆られてそう言ったのではなく、いくさは終わったのだからもう来るなという意味だろう。武蔵にとってはあくまで仇討ではなくいくさだったのだ。

最後の場面で櫂を剣に見立て、所詮は武器かと言い捨てたのも、兵法家としての武蔵を際立たせている場面だ。吉川英治と内田吐夢によって、武蔵は講談調の剣豪から兵法家としての本来の姿に戻れたと言える。ただ、実像はまたちょっと違っているのも確かで、これはあくまでフィクションである。

5部作を全部観たが、とにかく役者が上手い。みんな上手い人ばかりだ。最初のころはそんなに美人でもなく演技も上手く感じなかったお通さんでさえ、第5作ではそれなりに美人に見えてくるから不思議だ。科白回しも良くなっている。

大作家と名監督と名優たちによってたっぷり尺を与えられて作られた宮本武蔵。

これは傑作といっていいだろう。

☆5.0。個人的に好きだったのはお杉ババアだけどな。