去年の7月に膵臓がんで闘病2ヶ月で死んじゃった
じーちゃん(実の父)80歳。
今日はじーちゃんの月命日
あたしの乳ガンを気付かせてくれたじーちゃんには
もう一つ自慢出来ることがある
膵臓がんと言われて たった2ヶ月しか生きれなかったけど
最期の最期に じーちゃんらしいことをして人生の幕を閉じたよ
それは 角膜提供。
聞いた事はあっても 身近なことではない。ってずっと思っとった
じーちゃんが死んだ日。
酸素濃度も低くなって、呼吸もあらく、水分さえほとんど摂れなくなって
意識も混濁。
何かを言いたそうにしているけど、その日はもう 何を言いたいのか
家族誰もが分からず、じーちゃんのパソコンの検索履歴とかを調べたりしながら
思い当たることを、片っ端から「これ?違う?これのことじゃない?」って聞いていたけど、全部 首を横に振る。
必死に伝えようとしているじーちゃんの口元を見て
みんなで必死に読み取ろうとしていた。
夜になって 「何が伝えたい?」「ばーちゃんの心配?」と聞いても
弱く首を横に振る。
「…か、 く… ま、……… 、 く………。」
「‼️ん?じーちゃん!角膜って言った?」
やっと首を縦にウンウンと2回。そして ホッとした顔。
それまでの険しい苦しい顔が 一瞬穏やかになりました。
「じーちゃん角膜提供するの?でも意思表示のカードないよ出来んよ」
の声掛けに
「………あ、…………………い………ば…………」
「ん⁈アイバンク?アイバンクに登録してあるの⁈」
と聞いたら 弱々しく ウン と。
その時は、じーちゃんを安心させるために
「わかったよ!アイバンクに登録してあるだね?
じゃあ もし じーちゃんが死んだら、
ちゃんとアイバンクに連絡して角膜提供するよ!
安心して!!
でも、どんな姿でもいいでじーちゃんにはまだおって欲しい!
動けんくてもいいで、
そのままのじーちゃんでいいでおってほしいで、
まだ角膜提供はしないよ!!」
って言ったら はにかんで少し悲しい顔をしたじーちゃん
あの顔は今でもずっと思い出す。
苦しかったんだろーなー
ごめんねじーちゃん
その後は もう話をする力も残ってなく、
苦しそうに呼吸をするじーちゃんを囲んで
じーちゃんの大好きな森昌子の曲を流しながら
ずっと手足をみんなで摩って 声をかけ続けた。
夜中11時58分。もがいて苦しんで本当に苦しそうに息を引き取りました。
泣き叫びながら じーちゃんの身体を揺さぶる 姉ちゃんとばーちゃん。
悲しみをこらえて涙を溜めながら呆然と立ち尽くす あたしの息子と甥っ子。
その横から、脈を確認して 時間を確認して 訪問看護婦さんに電話をしました。
姉ちゃんは泣きながら
「痛いね邪魔だね苦しかったね」と言いながら
点滴や酸素を外してあげていました。
そこからが大変でした!
角膜提供?どこに連絡すれば良いのか?
医者に死亡確認してもらったけど、
地元の医者は角膜提供の連絡方法を知らないと。
調べたところ死亡してから数時間までしか摘出できないと
夜中なのに あらゆる方面に連絡を取り 死亡してから4時間後
自宅から2時間以上離れたところにある大きな病院の医師が
タクシーで自宅に来て 自宅のベットで
じーちゃんの目は取り出され、医師に御礼を言われ
角膜提供の場へと向かいました。
つづく