なんとなく 乳に違和感を感じたけど、特に気にすることなく
またじーちゃんの元へ戻り、介護の日々を過ごしていました
じーちゃんはだんだんと口からものを入れることが難しくなってきていました。
しかし話もできる会話できるそれが救いでした。
腕には点滴。鼻には在宅酸素。身体が動かせないため身体の小さいじーちゃんを大きめのバスタオルに乗せ4隅を4人で持ってバスタオルをパンパンに張った状態で体位変換やシーツ交換など行っていました。
入院中での担当のクソ医者は結局どこにどのように転移しとるか、などの説明もなく
なんで寝たきりの状態になってしまったかの説明もなく
(前回書きましたが、聞いてもすべて答えは ”多分” の答え)
おでこ、背中、耳後ろ、脇腹、ヒザ、足の付け根にボコボコと腫瘍が飛び出してきていました
じーちゃん共々、頼りにしていたのが少し離れたとこにいる従姉妹の保健婦でした。
時々電話をくれてその時のじーちゃんの状態を説明し、それに合った症状の緩和方法などを調べたり、じーちゃんの不安な事などを聞いてもらったりしていました。
顔を見に行きたい!と何度も言ってくれてはいたのですが従姉妹はまだ子供が小さく来る日を決めていると子供が熱を出してしまい、なかなか来れませんでした
じーちゃんの調子があまりよくなさそうなとき、いてもたってもいられなくなったようで子供を預けて来てくれました
じーちゃんも顔を見ていろいろと不安なことを話したり聞きたいことなど聞いてくれたり、珍しくじーちゃんもとってもよくしゃべりました
私や姉、母の事も心配してくれ色んな話をしていました。
あっ!そうだ!この前乳になんかある気がしたで見て〜
と、父の様子を見に来た人に乳を見せました
(完璧自己満足なオヤジギャグです、すいません)
半年前にマンモ異常なしだったことも伝え時間をかけて触診してもらいました。
「半年前に異常なしで、こんなに大きいシコリが、たった半年で大きくなることはないと思うけど〜ちょっとイヤ〜なシコリの気もするねー。
でも半年前に異常なしか〜」
と、やはり半年前のマンモの異常なしが判断の邪魔をしている感じでした。
しかし、シコリがあるにはあるで検査だけでも行って来たほうがいいよ!!
と言われました。
でも、その時にはあたしが抜けて、じーちゃんの介護を任せる。ということが自分的にもできず過ごしていました。
またその頃じーちゃんの姉(10年前に乳がん)とその娘(3年前に乳がん)も、じーちゃんの顔を見に来てくれ、話のついでに自分の乳を触らせていました。
従姉妹もスゴく心配して病院行け!病院行け!と言ってくれました。
またまたその頃わたしの中学からの友達が時々、点滴の様子を見にきてくれたりしていて外科の看護師だったこともあり
とりあえず一回調べに来い!とは言ってくれていたけど、
じーちゃんから私が離れられないのもわかってくれていたので無理強いはありませんでした。
そしてまたまた訪問看護をお願いしていて、その時来てくれていたトップの訪問看護師が、子供の同級生の母であり、友達の姉であり、実家のお客さんだったこともあり
じーちゃんのお世話をしてもらった後に乳を見てもらい、
ちょっと心配なしこりと言われました。
まさにじーちゃんが膵臓癌になり、じーちゃんのお世話や心配してきてくれた人たち
(何年も会ってない人たちでした)が、ひょっとすると乳がんかもしれない‼️ということを伝えてくれました。
みんな大げさに言っちゃって〜
【自分は絶対乳がんにはならない!!】
【健康そのもの!癌は無縁!!】
と本気で思っていました。
今思うと、父、膵臓癌。父の兄妹みんな30代〜50代でガンで死亡。
従姉妹、乳がんになった時、遺伝子検査もして遺伝性乳がん確定。
別の従姉妹も37歳で癌で死亡。
みんな癌じゃん‼️
しかし自分は大丈夫と思ってしまうんですよね〜
そう言われても病院には行かず1週間ほど過ぎた頃
ばーちゃん、姉、わたし、姉の子、わたしの長男に看取られて、
じーちゃん逝ってしまいました
(この文字を書くだけでも7ヶ月たったいまでも泣けてたまりません。)
じーちゃん😭
またまた長くなってしまったので切ります。