じーちゃんが自宅に帰ってきました照れ

でも入院する前のような状態じゃなく完全介護の寝たきりえーん

 

でも帰ってこれて24時間みんなでじーちゃんと一緒におれることが何よりうれしいことでした照れ

 

私の嫁ぎ先は車で5分🚗

しかしいつどうなってもおかしくないじーちゃんと離れることが出来ず

無理を言って義理のお姉さんたちに介護の必要な義母のお世話をお願いしましたウインク

 

その日から実家に寝泊まりでの介護が始まりました。

 

私には2つ上の姉がいます。(旦那とは長いこと別居中)

姉が実家で父母と一緒に生活してくれていました。

 

子供も同じ年くらいでみんな仲良しおねがい

 

姉の子の上の女の子は結婚して子供も生まれ1歳になったばっかのひ孫はじーちゃんにべったりでしたウインク

下の男の子は仕事をしていましたが仕事場の上司の方が介護中心でと在宅での仕事にしてくれました(身体が大きくじーちゃんを下げたりするのにものすごく助かりました)

 

母はリウマチで79歳ですが気持ちは若く元気に見えますが手足の指はリウマチのひどい状態で、大量の薬に助けられています。

 

私にも3人の子供がいますが、長男は一緒に農業をやっていて

娘2人はその時は地球1周の🌏船旅🚢に3ヶ月間行っているところでした。

出発するときは全く元気で抱き合って  行ってきまーすバイバイハート

だったのですが、帰ってくるまでもってくれるか…

生きている姿を見せて話をさせてあげないと絶対後悔することになる!

と悩んだ挙句、連絡しました。

なんとか途中下船し話もできる状態のじーちゃんに会わすこともできました照れ

 

じーちゃんは膵臓癌と言われてから常に痛みが強くありました。

10のうち痛みはどれくらいですか?

と病院にいるときよく聞かれていて、いつも8以上でした。

でも痛い痛いと言うわけでもなく、聞かれると答えると言った感じで

常に静かに痛みを我慢していましたショボーン

病院にいる時から起き上がっての水分が難しくなってオキシコンチンを飲み込むのが困難になってきたため、自宅に帰ってからはフェントステープとレスキューのオキノームで調整していました。

 

栄養点滴を24時間していたので

退院してきてすぐベットに点滴をぶら下げる棒がない!!!

急いで旦那と甥っ子でホームセンターへ行き自家製の点滴の棒を作りましたウインク

(訪問看護師さんやお医者さんが出来栄えを、ものすごくほめてくれるほど完璧な出来上がりでした爆  笑

 

毎日いろんな人が顔を見せに来てくれたり鍼やお灸をやりにきてくれたり

おしゃべりしに来てくれたり、私たちのおやつや食事を持ってきてくれたりでしたおねがい

 

じーちゃんが動かせるのは口と手だけ。

寝返りも激痛のためできません。

ベットのリクライニングも少しずつ上げても痛くてたまらない状態です。

オムツを替えるのも身体を支える人とオムツを交換する人と必ず2人必要でした。

点滴の交換も自分たちでやりました。

手は動かせるので点滴の針がズレてしまい点滴が落ちなくなってしまうこともあったため、せん妄状態の時は24時間必ず誰かが手を握って、抜けたりしてしまわないようにしていました。

 

つねに寝不足の状態でしたが

後悔するような介護だけはしたくない!というあたしの強い思いは

みんなも同じでした。

 

少し落ち着いた状態の時、自宅に戻り片付けをしてシャワーして買い物してまた戻ろうとしていました。

普段あたしは基本ノーブラですデレデレ(ブラトップのヒートテックばかり)

シャワーして珍しくブラをつけるのに乳を寄せていました爆  笑

 

 

ん⁇⁇

 

なんじゃ!?

 

 

右乳だけなんじゃ⁈

 

なんか左と違う気がする、

 

シコリか?乳固っ!

 

乳触るの久しぶりだな〜

 

 

 

…まっ、気のせいか口笛

 

 

と、あまり気にせず買い物して実家に戻りました。

その後も全く気にしていませんでした。

 

 

しこりがあっても、全く乳がんということは、なぜか頭にはありませんでした。

あたしがなるなら子宮頸がん。(検査で引っかかっているから)

乳がんは毎回、市の検診を必ず受けているし半年前にもマンモやったばっかで

いつも通り【異常なし】の結果を見たばかりえー

 

じーちゃん膵臓癌だけど介護しとる人がそんな突然乳がんになるわけないし〜イヒ

神様もそんな意地悪なことしないでしょーウインク

 

と、本気で思っていました。笑い泣き

 

 

文章がこの前書いとる途中で、消えちゃったので

ちょっとここでまた切ります🙇‍♀️