記憶を残しておくために思い出して書き出してみよーと思いますおねがい

 

じーちゃん(実父)80歳。

元気もあり役員をやりながら色んな場所へ飛び回ることが好きで

突然パソコンでチケットを取って1人で「ドイツ✈️行ってくる〜バイバイ

とか

あれ?じーちゃんがいない⁇と探したら隣の県へ大好きな 森昌子のコンサート🎤

に行っていたりデレデレ

物静かで天然なじーちゃん👴孫たちにはメロメロで5人の孫たちからは

おじいちゃんかわいい❤️と上から抱きつかれ嬉しそうにニコニコしている姿を

よく見ましたラブ(じーちゃん身長150センチゲラゲラ孫たちはみんなそれよりデカイ爆  笑

 

そんなじーちゃんがビールを飲むとお腹が痛いアセアセと言い出したのが去年の夏。

お仲間が同じような症状で病院へ行ったら膵臓癌ステージ4と言われたので調べてもらったほうが良いよ!と言われ、

じーちゃんの兄弟も2人膵臓癌で亡くなっていることもあり

尿路結石で昔通院していた総合病院へ行って、血液検査やレントゲンやCTの検査をしました。

心配ありません。肺が少し気になる程度なのでまた3ヶ月後にレントゲン撮りましょう。と言われ、また3ヶ月後に行って検査。

放射線技師の文面は(膵臓に微量の影がみられます)と書いてあるにも関わらず、

問題ないので、また3ヶ月後に検査しましょう。

と言われました。

この時違う病院へ行っていたら…と今では後悔しかありませんがえーん

医者に大丈夫OKと言われたらついつい大丈夫なんだ〜照れと思ってしまい安心しきってしまいましたショボーン

 

そして3ヶ月後に検査。血液検査でCA19-9、9000オーバーゲッソリ

姉から電話で、「じーちゃんヤバイかもガーン」と。

そこから次のCTの検査までに2週間後。他の検査をするのも、またその後2週間後。

ばーちゃんは、その間に悪いものがどんどん進んでしまう‼️と毎日泣いて心配していました。

結果が終わり膵臓癌ステージ4と言われたのは5月に入ってからでした。

手術は出来ない。抗がん剤治療しかありません。

そのままだと半年。抗がん剤が効けば1年。と言われましたえーん

抗がん剤治療を2回出来ましたが結果2ヶ月で死んでしまいました😭😭😭

 

膵臓癌と分かってから1ヶ月もたたず自力で立ち上がることもできなくなり

手以外動かせない状態になってしまいました。

 

入院中、立ち上がることが出来なくなったため造影CTを撮ることになり

その日は造影CT取りに行く前は普通にしゃべることも出来ていたのが、

夕方には意識不明になり酸素濃度も下がり危篤な状態に。

自分と姉の子(甥っ子)と泊まり手をさすりながらずっと喋りかけていました。

夜中甥っ子とテンション上げて

「じーちゃんドキドキじーちゃんドキドキそろそろ起きんといかんよ〜!じーーーちゃーんビックリマーク

とベッドの周りをウロウロしながら声かけしていました。

そしたら「は〜い……」

 

ポーンポーンポーンポーンポーンえっ!

 

目を開けてこちらを見て笑っているじーちゃんが〜笑い泣き笑い泣き笑い泣きハート

 

夜中にも関わらず、甥っ子と手をたたいて大喜びしましたOK

 

その後喉が渇いたと言うので氷を舐めさせてあげ少しお喋りして寝ました照れ

 

結果、担当の若僧のクソ医者(失礼ですが、今もその気持ちに変わりはありません)

 

どこに転移?(わかりません)

転移なので動けない?(多分転移です)

皮膚から飛び出ているのは癌?(多分そうです)

身体に出来た湿疹は?(多分抗がん剤の副作用です)

あとどれくらい生きれるのか?(多分長くないです)

入院初日から言っていた目の症状を眼科で調べてくれるって言うのは

どうなりました?(あっ!すいません忘れてました)

目のことに関してはじーちゃんも担当医に何回も言い

私からも5回以上お願いしましたムキー

 

結果、その後も忘れていたらしく

(看護婦さんがあの先生すぐ忘れると教えてくれた)

眼科の先生に見てもらうことなく死んでしまいましたが…

 

病院に居てもこれ以上治療することもないけどどうしますか?とクソ医者ムキー

 

「こんなとこで死なせてたまるか‼️連れて帰りますムキームキームキー」と言い

介護タクシーをお願いし、お世話になった看護婦さんたちには

きちんと御礼を言ってお見送りして頂き(担当医あたしの顔見て隠れやがった)

自宅まで通常1時間で着くところを、車の振動でさえ痛いので倍の時間かけてゆっくり帰ってきました照れ

じーちゃんは人の事を悪く言ったりする事がない人なのですが、

介護タクシーの中で「あの医者はダメだね👎何もわかってないで言ってもムダだねぶー」と言っていました。

 

そこから自宅での泊まりこみの介護が始まりました。

その2に続く。