古来、日本の歴史の中で語り継がれる怪物「鬼」。ツノが生えた頭、つり上がった目に牙の生えた口という恐ろしい姿で金棒を振り回す様子は、人々を震え上がらせます。
一方で、「鬼才」「心を鬼にする」などの日本語や、「鬼ごっこ」などの遊び、「節分」などの伝統行事といったように、鬼は私たちの暮らしの様々な場面で登場します。最近でも鬼をテーマにした漫画とアニメ「鬼滅の刃」が大ヒットを記録しました。
恐るべき存在でありながら、人の暮らしと密接に関わっている「鬼」とは、一体何者なのでしょうか。今回はそんな鬼の起源や歴史、特徴、種類などをまとめて紹介。鬼の正体を徹底解説していきます。
鬼とは
古くから日本に存在する鬼は単なる怪物の一つではなく、人の怨霊、伝説上の神、妖怪、宗教上の存在など様々な形で想像され、その定義は登場する場面によって異なります。ここでは、それぞれの鬼の定義を見ていきましょう。
妖怪としての鬼
妖怪として描かれる鬼
妖怪として登場する鬼には決まった姿はなく、超科学的な力、おどろおどろしい気配を秘めた、得体の知れぬ恐ろしい化け物として描かれます。昔話や民間伝承に登場する鬼の多くも妖怪であり、人を取って喰うなど人間に害をなし恐怖を与える存在として信じられてきました。
そもそも妖怪は、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、それらを起こす不思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。昔では、未知の自然現象や未確認生物などは、妖怪と考えられていました。そのため「何かわからないもの」への漠然とした恐怖が生み出した存在であるとも考えられます。
悪霊としての鬼
般若のお面
恐ろしい姿をした怪物としてイメージされる鬼ですが、霊的な存在として現れる場合もあります。霊としての鬼の正体は、なんと人間自身。人間が怨念や嫉妬などによって悪霊となり、鬼の姿へと変わったものと言われています。この鬼は悪霊であるため、妖怪の鬼と同様人に災いをもたらす恐怖の対象として扱われています。
おどろおどろしい表情のお面で知られる「般若」も、人間の女性が怒りや悲しみ、嫉妬といった感情から鬼に成り変わった姿。怒った女性が鬼のように恐ろしい姿になる様子は現代でも「鬼嫁」という言葉で受け継がれています。
仏教の中の鬼
鬼の一般的なイメージである、角や牙を生やした恐ろしい姿は、実は仏教の鬼の姿から来ています。仏教には六道と呼ばれる6つの世界が存在し、前世の行いによって来世で生きる世界が決まります。
その中の「餓鬼道(がきどう)」と呼ばれる世界に生きる者たちが、鬼の一つである「餓鬼」。子どもをけなした意味で使う「ガキ」という言葉の由来とも言われています。
餓鬼は常に飢えに苦しんでおり、食べ物と水を手にしても火となってしまうため、決して満たされることがない鬼。前世で金や食べ物を独り占めした欲深い人間は、この餓鬼に生まれ変わってしまうとされています。
地獄の鬼
また、仏教に登場するもう一つの鬼が、有名な地獄にいるとされる鬼。「地獄道」は六道の中で最も辛く苦しい世界で、前世で人殺しのような悪事を働いた者が落ちる場所とされています。
地獄の鬼の仕事は、牢獄のような地獄の中で亡者を拷問し、苦しみを味あわせて罪を償わせる、いわば「獄卒」。一般的な鬼のイメージは地獄の鬼に由来しています。
神としての鬼
山神を祀った大山祇神社
「鬼」という漢字は「カミ」や「シコ」などとも読まれ、「カミ」は「神」に通じます。古代の人々は、あらゆるものに神や精霊が宿ると考えており、目に見えないものや人の理解を超えた存在があることを、自然に受け入れていました。
そのため鬼は、山や土地を守る神々を指し示すことがあります。この種類の鬼には目が1つしかないという特徴を持っており、人を助けるために超人的な能力を使ったという伝説が多く残り、「山神」に属しているとされています。
鬼の起源と歴史
今では誰もがイメージできるほど有名な鬼ですが、果たしてそれはどのようにして生まれ、日本人の間にその存在が広まっていったのでしょうか。鬼の起源と歴史に迫ります。
「鬼」という言葉の起源は中国
「鬼」という言葉はもともと中国から入ってきました。漢字の「鬼」は死体を表す象形文字で、現在でも人が亡くなることを「鬼籍に入る」と表現するように、人は死んだら鬼になると考えられていました。
死者の魂が鬼となる
中国では、鬼とは死者の魂そのものであり、姿形のないものとされました。しかしそれが日本に伝わると、仏教の概念と結びつくことで、鬼は恐ろしくて怖いものと捉えられていったのです。
現在の鬼という漢字には「き・おに」という読み方がありますが、中国から入ってきたときは、「おに」という読み方はありませんでした。鬼のような存在を日本では「モノ」と呼んでおり、怨念を持った霊や邪悪な怨念を意味していました。ここでは中国同様、実体のない存在と認識されていたようです。
平安時代に鬼(おに)という呼び名が定着
「百鬼夜行」などで描かれる鬼
鬼(おに)という呼び名が定着していったのは平安時代。仏教思想の影響で、鬼が「地獄の鬼」のような実体を伴う怪物として認識され始めました。これらは「この世ならざるもの」という意味の「隠(おぬ)」と呼ばれ、さらに「鬼」という名前へと変わったと言われています。
この頃から鬼は、恐ろしい怪物として物語などの中で描かれるようになります。
鬼は実在した?
外国の海賊などを鬼と呼んだという説も
一方、鬼という存在は、720年の日本書紀ですでに日本に登場していました。そこでは遠い国からきた外国人や海賊、山賊などの反社会的集団を「野蛮で醜いもの」という意味で「鬼魅」と記述していますが、ここにも「おに」という読み仮名が振られています。昔はこうした人々を含んだ「得体の知れないもの」を総称して鬼と呼んだとも考えられます。
さらに、鬼は「金工師」と呼ばれる職業の人間であったという説も。金工師は鉱山採掘や金属製品生産など、金属に関する仕事をしていた人達のこと。鬼伝説のある土地が、同時に鉱山地である場合が多いことや、鬼が伝説の中で金工に結び付いている例があること、実際に伝説の中で金工師とされる例もあることからこの説が唱えられました。
それから鬼の定義や種類は、時代や思想の流れによって様々に変化しながら語られることとなりました。
鬼の特徴と種類
宗教や物語の世界など様々な場面で描かれる鬼。さらに、鬼には数えきれないほどの種類があり、それぞれの伝説が日本各地で語られています。しかし一方で、鬼には共通してイメージされる特徴も存在しているんです。ここでは、代表的な鬼の特徴や種類を紹介します。
鬼には5つの色がある?
赤鬼と青鬼
鬼の色というと、赤や青をイメージする人が多いのではないでしょうか。しかし、実は鬼の色は他にもあるんです。鬼は大きく分けて、赤・青・黄・緑・黒の5種類が存在します。
これは仏教における5つの煩悩のことを五蓋(ごがい)といい、その五蓋を鬼の色に当てはめているため。つまり、鬼の色それぞれには意味があるんです。
赤鬼
赤色の鬼が表す煩悩は「貪欲」。すなわち人間の欲望を表しています。赤鬼が一番有名なのは、この欲望があらゆる邪気の象徴であるためと考えられます。
青鬼
青色の鬼が表す煩悩は「瞋恚(しんに)」。瞋恚とは怒りや恨み、憎しみといった人間の憎悪の感情の事を指します。
黄鬼
黄色の鬼が表す煩悩は「掉挙・悪作(じょうこ・おさ)」。浮ついた心や甘え、執着など、自身の心の弱さを映し出しています。黄色の鬼は白色とも言われており、同じ意味を表しています。
緑鬼
緑色の鬼が表す煩悩は「惛沈・睡眠(こんじん・すいめん)」。やるべきことをやらない、ダラダラと眠ってばかりいる、という怠けた心からくる不健康や不摂生を意味します。
黒鬼
黒色の鬼が表す煩悩は「疑惑(ぎわく)」。自分や他人を疑う心や、愚痴などを指します。自身の中にある不平不満の心、卑しい気持ちを映し出していると言えます。
鬼の外見
一般的な鬼のイメージ
鬼の外見の特徴として最もよくイメージされるのが、パーマをかけたように縮れた頭に2本の牛の角を生やし、腰には虎の皮でできたパンツを履き、手に金棒を持った姿。これは地獄の鬼が由来となっています。
実はこの牛と虎という特徴にも意味があるんです。風水上、鬼が出入りすると言われる「鬼門」は北東とされています。昔の方角では、子(ね)を北として十二支の名前が時計回りに当てられていたため、北東は丑寅(うしとら)の方角となります。そこから頭が牛で下が虎という鬼の姿が生まれたとされています。
鬼の苦手なもの
鬼が苦手なヒイラギとイワシ
出会ったら最期とも思える恐ろしい鬼ですが、弱点となる苦手なアイテムが存在するんです。それはズバリ「ヒイラギの葉」と「イワシの頭」。ヒイラギのトゲは鬼の目を刺し、イワシを焼いた臭気と煙で鬼が近寄れなくなるといいます。
実際に、焼いたイワシの頭をヒイラギに刺したものを「焼嗅(やいかがし)」や「柊鰯(ひいらぎいわし)」と呼び、魔除けとして家の戸口に吊るしておく風習もあるんだとか。
鬼の種類
鬼には数え切れないほどたくさんの種類があります。ここでは代表的な鬼を紹介します。
邪鬼
踏み潰される邪鬼
「祟り神」や「もののけ」とも言われる小鬼。「邪」という漢字が使われているように、人間に対して災いをもたらすとされています。仏像の「四天王像」に踏み潰される小鬼として描かれていることでも有名。
酒呑童子
平安時代に京都で大暴れしたと伝えられる鬼。6mもある巨体に、角は5本あり、さらに目が15個もあるという恐ろしい見た目をしており「史上最強の鬼」とも言われています。酒を好み、人をさらって喰う悪鬼でしたが、毒を盛られた酒を飲まされて倒されたという伝説が残っています。
目一鬼(まひとつおに)
「出雲国風土記(いずものくにふどき)」に登場する人喰い鬼。実際のところ、この鬼に名前はありませんが、目が一つであったことからこう呼ばれています。日本に現存する文献で確認できる、怪物として記述される鬼の中で、最古の鬼と言われています。
牛頭・馬頭(ごず・めず)
牛頭・馬頭
一般的な鬼のモデルになった地獄の鬼ですが、中には動物の顔をした鬼も存在します。最も有名なのが牛頭と馬頭。それぞれ牛の頭、馬の頭に人間の体という奇妙な姿をしています。牛頭と馬頭はセットで登場することが多く、地獄の番人とも考えられています。
鬼女
人間の女性が怨念によって鬼と化したものを「鬼女(きじょ)」と呼びます。
鬼女の中でも特に有名なのが般若や鈴鹿御前(すずかごぜん)。しかし、鈴鹿御前は坂上田村麻呂と出会い改心し、悪事を働く鬼を逆に退治する側になるという珍しい展開で語られているため、鬼ではなく山の神や天女ではないかとも言われています。
三吉鬼(さんきちおに)
秋田県に伝わる伝承の中で語られる鬼。大酒飲みで、人里に降りてきては呑み屋で酒を飲み、お金も払わず出ていきます。しかし、夜になると呑み代の10倍ほどの値打ちがある薪を置いていくという話が有名です。
また、1人では動かせない重い荷物を動かす時や大きな仕事がある時は、酒樽を供えて三吉鬼に願をかけると、一夜のうちにその仕事が終わっているという話も残っています。
人を喰うような恐ろしい鬼だけでなく、このような心優しい鬼や福をもたらす鬼も存在しているんです。
人の暮らしの中に登場する「鬼」
見れば震え上がるほど恐ろしい鬼ですが、昔話、慣用句、ことわざ、遊びなど、私たちの日常生活の中に鬼はあまりにも自然に溶け込んでいます。
一体、鬼はなぜこれほどまでに多くの場面で登場するのでしょうか。ここでは鬼が登場する昔話や行事、鬼のつく言葉や遊びについて、それらが生まれた背景とともに紹介していきます。
鬼が登場する昔話
鬼が登場する昔話には、善を勧め、悪を懲らしめる「勧善懲悪」がテーマのものが多く、鬼はそこで倒すべき「敵役」を演じています。
しかし、昔話の鬼はただの恐ろしい敵だけではなく、悪政を行い人々を苦しめる権力者などを表しているとも考えられています。自分の利益のために人を犠牲にするような悪い心そのものが、退治すべき鬼であるとも言えそうです。
桃太郎
桃太郎
鬼の登場する昔話として真っ先に上がるのが桃太郎。桃から生まれた桃太郎が犬・猿・雉を従え、鬼ヶ島で鬼を退治する話です。実は桃や動物たちは偶然選ばれた訳ではなく、理由が存在しているんです。
風水上、鬼が出入りする鬼門の反対側である「裏鬼門」に当たるのは申・酉・戌の方角。犬・猿・雉はこれに由来すると言われています。また中国の史書で、桃の木は邪気を払う力があるとされ、桃の実は生命を宿す女性を意味していると考えられています。
金太郎
金太郎
足柄山で動物とともに暮らす力持ちの金太郎が、立派な侍に魅入られて出世し、悪人を倒していくという物語。これは平安時代に存在した坂田金時(金太郎)と源頼光(お侍)がモデルとなっています。
一見鬼は登場しないように見えますが、室町時代に作られた物語「御伽草子」の中では、丹波の大江山に鬼退治にいく様子が描かれています。この鬼こそ、史上最強の鬼と言われた酒呑童子。毒を入れた酒を飲ませて動きを封じて斬り殺し、見事に鬼退治を成功させます。
一寸法師
一寸法師
小指ほどの大きさの小さな男の子が、針とお椀の舟で京へ行き、侍となる物語。一寸法師は都を襲う鬼に食べられてしまいますが、腹の中を針でつつき回ると、鬼はたまらず逃げていきます。その後、鬼の落とした打ち出の小槌で、一寸法師は大きくなることができました。
しかし、実は原作の「御伽草子」では、両親が大きくならない一寸法師を嫌っていて家を出た、京で仕えた姫を騙して自分に好意を向けるよう仕組んだなど、少しダークな一面やずる賢い一面が描かれており、ちょっぴりクセのあるヒーローとなっています。
鬼がつく言葉
鬼嫁
熟語
「鬼将軍」「鬼嫁」のように、誰かの恐ろしい様子を表す場合には、鬼という言葉が使われます。また「鬼才」「仕事の鬼」のように、良い意味で普通の人間とかけ離れている様子を表す時にも鬼が使われます。
ことわざ・慣用句
冷徹で無慈悲な人でも時には哀れみを示すという意味の「鬼の目にも涙」や怖い人やうるさい人がいない間にくつろぐという意味の「鬼の居ぬ間に洗濯」、強いものが何かを得てさらに強くなるという意味の「鬼に金棒」など、付き合いづらい人やどこか普通と違う特徴を持った人などを、鬼にたとえて表現するものが多いようです。
鬼がつく遊び
鬼がつく遊びでは、誰かが鬼となって残りが捕まらないように逃げる、また鬼に捕まったら捕まった者が次の鬼となる、というルールが共通しているように見えます。
これは鬼が人間の脅威として疎まれる存在であると同時に、今まで人間として関わっていた者が突然鬼となって襲ってくるといった複雑な関係が描かれているとも捉えられます。人間の恐れる鬼は、実は人間自身である。そんな深いメッセージが込められているのかもしれません。
鬼ごっこ
鬼ごっこ
鬼ごっこは、参加者の中から一人の「鬼」を決め、残りは逃げて鬼がそれを捕まえる。そして捕まった者が次の鬼となる、というルールの遊び。
この鬼ごっこには非常に多くのバリエーションがあります。鬼より高いところに入れば捕まらない「高鬼」や特定の色に触れれば捕まらない「色鬼」、捕まると動けなくなり仲間の助けを待つ「氷鬼」など、小さい頃遊んだ記憶がある人は多いのではないでしょうか。
追儺で踊る鬼
誰しもきっと遊んだことのある鬼ごっこですが、その起源はなんと平安時代にまで遡るとされています。次の節分の豆まきで解説する「追儺(ついな)」は鬼ごっこの原型とも考えられているのです。宮中行事である追儺では、役人が盾と矛を持って鬼役を追いかけ回します。これが鬼ごっこに通じるとされています。
また、鬼ごっこの起源と考えられるもう一つの遊びが「比比丘女(ひふくめ)」。地蔵菩薩が地獄の鬼から子どもを守る様子を表しており、そのルールはまず鬼役に向き合った親役の後ろに子が縦に長くつながる。鬼は列の最後の子を狙って追いかけ、親は両手を広げて子を守る、というもの。江戸時代には「子とろ子とろ」とも呼ばれていました。
だるまさんがころんだ
だるまさんがころんだ
鬼が壁や木に顔を伏せて残りは鬼から離れてだんだん近づいていく。鬼は「だるまさんがころんだ」と唱え、直後に振り返る。振り返った時に動いていた者は捕まって鬼と手を繋ぎ、鬼はこれを繰り返す。そして先に鬼に触れるか鬼が全員を捕まえると終了という遊び。これも鬼ごっこの一つの変種と考えられています。
鬼にまつわる行事
鬼が登場する行事やお祭りも数多く存在します。
節分の豆まき
節分の豆まき
鬼に関わる行事として最も有名なのが節分の豆まき。現在は2月の始めにある節分ですが、本来節分とは季節の分かれ目を示す立春、立夏、立秋、立冬の前日を意味します。室町時代から現在のように立春の前日のみを指すようになったと言われています。
こういった節目の時期には邪気が入りやすいと考えられていました。特に旧暦では新年が春から始まったため、立春は年の変わり目として最も重要な日。そこで邪気を払う神事が行われるようになったのです。
追儺でたいまつを持つ鬼
大晦日(節分)の神事として平安時代に行われたのが「追儺」。鬼ごっこの起源となった鬼を追いかけ回す様子を演じる他にも、桃の木で作った矢を射るといった、鬼を追い払うための様々な神事が行われました。
その中の一つとして行われた「豆うち」が、豆まきの由来となったと考えられています。古くから穀物には霊が宿り、魔除けの力があるとされていました。魔の目(魔目=まめ)に豆をぶつけて魔を滅する(魔滅=まめ)という意味にも繋がることから、豆を巻くようになったとも言われています。
ちなみに節分の豆まきでは、自分の中から煩悩を消したい時、その煩悩を表す色の鬼に豆をぶつけると良いんだとか。
なまはげ
「なまはげ」は秋田県の男鹿半島で毎年行われる伝統的な民俗行事。大晦日の夜、青年たちが恐ろしい顔をした鬼のお面をかぶり、「泣く子はいねがー」と叫びながら地域の家を回って子どもたちに迫ってきます。
あまりの恐怖に子どもたちが泣き叫ぶ様子を見ると、とんでもない悪者のように思えてしまうなまはげですが、その正体は実は五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を司る神の使者「神鬼」の化身なんです。
地域の家を巡るなまはげ
なまはげが家々のドアを叩き、わざと大きな音を立てて荒々しく登場するのは悪いものを祓い落とすため。また家中を歩き回って「ケデ」と呼ばれる藁(わら)を落としていくのも、無病息災のご利益がある縁起物であるためです。
地域の人たちにとってなまはげは、一年の厄を祓い、新年を祝福するありがたい鬼なんです。
豊橋鬼祭り
豊橋鬼祭りの天狗
鬼にまつわるこんな変わったお祭りも存在します。それが愛知県豊橋市の安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)で行われる「豊橋鬼祭り」。
このお祭りでは、赤鬼と天狗が戦いを描いた様々な神事は行われます。最後には天狗に敗れた赤鬼が、白い粉とタンキリ飴をばら撒きながら境内から逃走。この粉を浴びて飴を食べると厄除け効果があると伝えられています。粉は小麦粉で表現されており、参加者は小麦粉で真っ白になりながら飴を食べて健康を祈ります。
鬼はあなたのすぐそばにいる?
今回は、鬼の起源や特徴、そして鬼にまつわる様々な言葉や行事について紹介しました。出会ったら震え上がるほど恐ろしい鬼ですが、実は身近に存在していることがわかっていただけたのではないでしょうか。
恐ろしい怪物、災いあるいは福をもたらす神、はたまた人間の心の闇と、鬼の正体はさまざま。何気ない日常を過ごすあなたのすぐそばにも、実は鬼が潜んでいるのかもしれません。