新聞がなける~ドイツの壁が崩れた瞬間
今日のMenuは「ドイツがくっついた瞬間の写真」
今朝、『朝日新聞』を読んでいて、泣いてしまった
私はめったに泣く人間ではなく、親の前でもまだ泣いたことがない(いじっぱりか?)
それでも最近の現実は、
心がきゅーっと締め付けられ、泣けてしまうのだ
記事から想像するだけでも、
子供や大人の心に物凄い影を落としていることがわかる
今朝私は、投稿と在日中国人の子供の記事でグッときてしまったけれども、
経済面で泣き、政治面で泣き、国際面で泣いている人も多いだろう
小説を読む時間がなくても、
今は現実の方がモノスゴイことになっている
ーーーーーーーーーー
徳山喜雄さん(朝日新聞ジャーナリスト学校主任研究員)は
ベルリンの壁が崩れる瞬間を撮って翌日『朝日新聞』一面に写真を載せた方だ
誰もがその瞬間を想像だにしておらず、
崩壊そのものが偶発的な産物だった
分断は権力が無理やり国を分けてしまうものだけれど、
統一はそのほとんどが偶発的で民衆の計り知れない生のパワーによるものであることを
徳山さんのお話でまた納得することが出来た
「当時、ベルリンの壁が崩壊すると思っていた人は世界にほとんどいなかったはず。僕はあの時、たまたま東ベルリンで行われていた党大会の取材で現地にいた。
東ベルリンに入り、昼間に党大会を取材。そして夕方に行われた記者会見で、シャボウスキーという広報が「西側へ自由に旅行できるようにする」と発表した。その発表は、反政府運動が高まる中で、ガス抜きのための形式的な発表だろうと記者は誰もが考えた。ところが記者が「いつから?」と質問すると、シャボウスキーは「本日から」と答えた。
僕はこの記者会見の時、連日の取材に疲れてホテルで寝ていた。そこに同僚が来て「ベルリンの壁が開くかもしれない!」と叩き起こす。半信半疑で一番大きな検問所に行くと、ものすごい数の人だかりになっていた。
人をかき分け検問所まで辿り着くと、遮断機は折れ曲がり「開けろ!」の大合唱。そして人々の熱気が限界に達した頃にゲートが開いて、人々は雪崩を打って西側へと出て行った。壁の向こうではニュースを聞きつけた西の人が、東から来た人を盛大に出迎えていた。
どうやらシャボウスキーの発表は間違いだったらしい。そんなハプニングから歴史的な事件は起こった。」
たまたま先日、TVで
その元東ドイツの検問所の所長さんにインタビューを取っている番組をみた
やはりあの時、西側への遮断機をあげたのは
ただただ自分(検問所・所長)の判断で、上からの命令ではなかったという
民衆がごったがえし、上への判断を何度電話で仰いでも「待っていろ」のみ
もう民衆の熱意に検問所側も耐え切れなくなり、
遮断機を上げるしか方法が残っていなかったという
徳山さんの写真集『千年紀へのメッセージ』(平凡社)には
この時のあらゆる瞬間が収められていた
東ドイツの人々が祝福のお酒を片手にわーーーと笑いながら西側に入っていき、
それを道路の両端で拍手をしている西側の人々の写真をみた
西側の人が東の人に抱きついて、号泣するわけでもなく、
西側の人たちは落ち着いた拍手で迎えているというのが私の印象だった
私たちのいるアジアとはひどくその心理面がかけ離れている気もしたが、
同じ民族同士の統合を喜んでいた
分断体制の崩壊は、民衆の爆発が目にみえる契機ではあるが、
崩壊前、東ドイツの人々が他の共産圏を通過して他国へ流れていっていたのを容認していた
ソ連・ゴルビーなどの国際社会の影響も忘れてはならない
次は朝鮮半島だ
韓国の人たちはいろいろ言うこともあるけれども、
北のことを愛情をもって見ている人も多いのに驚く
この民族なら統一をなしえ、
その後の政治・経済・文化を分断された65年をさらにかけつつ
大きな熱いうねりにして世界に貢献していってくれるのではないかと思う
しかし自国利益のために
不必要に危険をあおる人々が国際社会のリーダーでいる限り、
東アジアの安全もないわけだが