安達の可愛さは、本人無自覚ですが少し小悪魔的な部分があると思います。そこでこのシリーズでは小悪魔的要素を盛り込んで、「なめる男」「すねる男」「甘える男」「怯える男」などを予定しています。
※この作品の最後にお知らせがあります。
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「逃げる男」
OPテーマ omoinotake 「産声」
EDテーマ DEEP SQUAD 「Good Love Your Love」
ドラマのあらすじは こちら
小説の<目次>は こちら
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オフィスの壁に掛けられた時計の針は午前10時を指していた。
安達は忙しなく紙を吐き出すコピー機の前に立ち小さくため息をついた。
午前中に20ページに及ぶ会議資料を30部作成しなければならない。
デジタル化が進んだと言っても中高年の男性が中心の幹部クラスはやはり紙の資料を好む。
月例会議のたびに繰り返される光景だ。
その時、背後から声がした。
「安達、ごめん。一瞬だけいいかな」
振り返るとそこに数枚の書類を手にした黒沢が立っていた。
どこにでもある濃紺のスーツを身に付けているだけなのに、細身で筋肉質のスラリとしたその姿は、まるで全身から目に見えないオーラが放たれているかのようにキラキラと輝いている。
そしてこの<完璧イケメン>の黒沢は自分の恋人なのだ。
まぶしさと照れ臭さで思わず目を細めながら、安達は一歩左に寄った。
「ああ、いいよ。〈割り込み〉して」
「ありがとう」
笑顔で隣に立った黒沢はコピー機に隠れるようにして、手を下げたまま安達の右手を握った。
目の前に広がるフロアでは大勢の社員が働いているのだが、こうすれば誰の目に触れることもない。
「ちょ、やめろって、仕事中だぞ」
小声で制する安達に黒沢は平然とした口調で答えた。
「大丈夫、誰も見てないって」
謎の自信に戸惑うように安達はわざとらしく声を上げた。
「あ、そうだ。浦部さんに確認しなきゃいけないことあったんだ」
言いながら黒沢の手からすり抜けるように右手を離すと、安達はそそくさと自分のデスクに戻っていった。
その安達の近くを通りかかった六角が心配そうに顔をのぞき込む。
「安達さん、大丈夫っすか? なんか顔赤いっすよ」
「そ、そうか? 別になんでもないよ」
ぎこちなく返事を返す安達の背を見守っていた黒沢は深く肩を落とした。
自分はいつでもどこでも安達に触れていたいのに安達はそうではないようだ。
いつもこんなふうにするりとかわされてしまう。
それが恥ずかしさや照れ隠しなのか、単にドン引きされているのかはわからないが、いずれにしても少し寂しい。
昼食時、安達は1人でテーブル席に座ると今朝黒沢が作ってくれたお弁当の蓋を開けた。
中身は卵焼きをはじめ、安達の好きなものばかりだ。
―― 今日もうまそう~。
付き合うようになってから、度々こうして黒沢の愛情のこもった手作り弁当を食べられるのはありがたい。
おかずの入ったタッパーを持ち上げると、白飯の上に海苔で文字が書かれていた。
―― 大好き❤️
最後のハートマークは梅干しで細工したものだ。
「うわっ!」
思わず声を上げると、安達は隠すようにしてもう一度おかずを重ねた。
露骨な愛情表現がこそばゆいを通り越して恥ずかしい。
そもそも自分はこういうのに慣れていないのだ。
とりあえず誰にも見られていなくてよかった。ホッとため息をつくと、
「あだちぃ〜」
「う、浦部さん?」
いつの間にか隣に浦部が座っていた。
「お前さぁ、やっぱ彼女できた?」
「あ、いや・・・・・・」
「じゃあなんだよ、その弁当は。手作りだろ?」
「や、これは、その・・・・・・今、母が来てて・・・・・・」
「なぁんだ、そうなの?」
その答えにさも拍子抜けしたように、浦部が口元をゆがめて立ち上がった。
30歳を過ぎても童貞のままでいるかのような後輩を、実はずっと心配していた。
それが最近、安達はよく笑うようになったし、幸せそうなオーラを全身から発している。
―― おめでとさん。
そういって飲みにでも誘おうと思っていたのに、すっかり勘違いしてしまった。
「まあ、お前ももう30歳だし、早く本物の彼女を作ってお母さんを安心させてあげろよ」
「はい・・・・・・」
ぶっきらぼうだがそれなりに気にかけてくれている浦部に、安達は心の中で小さく頭を下げた。
その夜、仕事から帰ったばかりの黒沢が安達の部屋で夕食を作ってくれた。
わずかな時間で何品もパパッと作ってしまう。
その手際の良さには毎回驚かされる。
仕事も家事も黒沢はなんでも完璧なのだ。
「うんま!」
そう声を何度もあげながら、いかにもおいしそうに食べてくれる安達を見て、黒沢も満足そうに微笑んだ。
夕食の後片付けはいつも二人並んでキッチンに立つ。
互いにの肩が触れたその時、安達は条件反射のように一瞬でパッと反対側に飛び退いた。
なんだか避けられているようで寂しい。
特に最近気になっていることを黒沢は正直に尋ねた。
「安達、俺に触れられるの嫌?」
やはり必要以上に近づくのは迷惑だろうか。
二人が付き合うことになって自分はその幸福感についつい舞い上がってしまったが、安達にすれば会社の人間に知られることは避けたいのかもしれない。
不安げな瞳で問いかける黒沢に安達は上目遣いで答えた。
「や、そうじゃないんだ。俺・・・・・・」
少しの間、言い淀むようにして安達は口ごもったが、やがて心を吐き出すように話し始めた。
「俺、お前に触れられるとめっちゃドキドキして、心臓が飛び出そうになるんだ。それに顔だって赤くなるし。だから会社とかではちょっと距離を置きたいっていうか・・・・・・」
―― え? マジ? なんて可愛いこと言うんだよ。
驚きで言葉を失う黒沢に、安達は目を伏せて頭を下げた。
「ごめんな、お前にヤな思いさせちゃった」
「ううん、そんなことないよ」
首を横に振りながら黒沢は思わず安達を抱き寄せた。
安達も自分と同じ思いでいてくれた。
それだけで泣きそうになるほど嬉しい。
そして可愛い天使を、いや、近頃では小悪魔と言ってもいいほどすっかり心をつかまれている安達を、この手で強く抱きしめたい。
「今はいいんだよね。誰も見てないし」
「あ、まあ・・・・・・うん」
素直にうなずく安達を永遠に手放したくない。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
そう願いながら黒沢は安達の耳元に甘くささやいた。
「じゃあ、いっぱい抱きしめちゃお」
「お、おう」
黒沢の言葉に従うように、安達はその胸元にそっと身を寄せた。
黒沢の右手が安達のあごを捉え、優しく上を向かせる。
互いの唇が吸い寄せられるようにゆっくりと近づいていく。
その時、
プルルル・・・、プルルル・・・。
軽快な調子でスマホの着信音が鳴り始めた。
慌てて駆け寄り発信者名に目をやった黒沢が苦々しげな声を上げた。
「なんだ、六角か・・・・・・」
「仕事の話じゃない?」
「いいよ、スルーする」
「でも・・・・・・」
「本当に大事な件なら、メールかLINEで文書の形で残すようにって、いつも言ってあるから」
「そっか・・・・・・」
うなずいたもののなんだか気まずい空気になってしまった。
黒沢にとって六角は、いい感じの雰囲気をいつも絶妙なタイミングでぶち壊しにする悪魔だ。
言葉にはしないもののイラつきを顔ににじませる黒沢にそっと近寄ると、安達は背後から優しく抱きしめた。
「安達?」
信じがたい表情で黒沢が名を呼ぶ。
まさか恥ずかしがり屋の安達からバックハグしてくれるなんて夢にも思わなかった。
「だって、いつもお前から色々やってくれるだろ。だからたまにはこういうのもいいかなって」
自分たちは同期で同い年だがリードしてくれるのはいつも黒沢の方だ。
たまには自分からも積極的に愛を伝えたい。
ぎこちなさが残るその仕草が健気で愛らしい。
堪えきれず振り向いた黒沢が思わず安達を押し倒す。
「安達、大好きだよ」
「く、黒沢・・・・・・」
結局はいつもと同じお決まりのコース。
だが、それも自分たちの幸せの形だ。
黒沢の熱い吐息を鼻先に感じながら安達は静かに目を閉じた。
💖おしまい💖