今回のお話は、原作コミックの冒頭ページにあった安達のエピソードを掘り下げてみました。

藤沢飛鳥

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「ねえ黒沢、知らないの?」

 

OPテーマ omoinotake 「産声

EDテーマ DEEP SQUAD 「Good Love Your Love

 

ドラマのあらすじは こちら

小説の<目次>は こちら

 

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朝からずっと、柘植は新作の構想を練るためにパソコンの画面を凝視していた。

 

さずがに目の疲れを感じて手を止め、深く息を吐いて椅子に身を預けたその時、かたわらに置いていたスマホが軽やかな呼び出し音と共にブルブルと震え出した。

 

画面に表示された発信者は「黒沢優一」。

 

安達や湊を交えて4人で会うことは多いが直接連絡が来るのは珍しい。

 

不思議に思いながらメッセージに目を通す。

 

> お忙しいところすみません。

 実は安達の件で折り入ってお話したい

 ことがあるんですが、

 今度お時間頂けないでしょうか。

 

黒沢と自分は同い年なのになぜか互いに敬語を使ってしまう。

 

呼び方も相変わらず「柘植さん」「黒沢さん」だ。

 

そのことは以前、4人で飲んでいるときに安達にも湊にも変だと笑われたのだが、なんとなく変えるタイミングを逃したままなのだ。

 

これまで2人だけで会ったことは無いが安達抜きの話とは何だろう。

 

釈然としない気持ちのまま手短に返信する。

 

> わかりました。

  明後日かその翌日なら大丈夫です。

 

 

―――――――――――――――

 

二日後、場所は任せると黒沢が言うので出版社の人間とよく打ち合わせに使う神保町の日本酒が揃った居酒屋を予約した。

 

個室で向かい合って座ると、いつもは落ち着いて思慮深い佇まいの黒沢が会った時からずっとそわそわとしている。

 

「今日はすみません。お忙しいのに呼び出したりして」

 

柘植が手にした猪口に熱燗の純米酒を注ぎながら黒沢が恐縮した表情を見せる。

 

「いや、構いませんよ。ちょうど気分転換もしたかったし」

 

笑顔で返事をし、互いにスッキリとした辛口の酒を口に含むと、黒沢が心を決めたように真剣な口調で話し始めた。

 

「実は、安達のことなんですが・・・・・・」

 

「はい」

 

柘植は深くうなずいた。

 

それがどんな内容であっても親友の安達に関することであればきちんと考えて返答するつもりだ。

 

柘植の表情に安心したように、黒沢は言い淀んでいた重い口を開いた。

 

「安達は本当に可愛くていつも優しいし、見ているだけで温かい気持ちになれて僕にとってはまさに宝物のような存在です」

 

―― なんだ? 惚気のろけか?

 

ある意味予想通りの言葉に、柘植は黒沢から視線を外すと手元にある箸を取り、つき出しの「ほうれん草の胡麻和え」を口に運んだ。

 

添えられたゆずの皮が爽やかで上品な香りを漂わせる。

 

だがそれを味わうこともなく柘植の心には小さな敵対心が生まれていた。

 

―― こっちだって負けないぞ。

   安達の自慢話が続くようなら

   俺だっていかに湊が可愛いか

   いくらでも話してやる。

   そうだ、やっぱり踊っているときの

   話がいいな。

   ダンスしている時の湊は、それこそ

   天使が降臨したかと・・・・・・。

 

あれこれと湊の愛らしいエピソードを考えていると、黒沢が言葉を続けた。

 

「僕、自分が卑怯だなって思うんです」

 

「卑怯?」

 

意外な言葉に柘植は首をかしげた。

 

黒沢が自分の生活の中心に安達を置き、それこそ文字通り目の中に入れても痛くないほど可愛がっていることはよく知っている。

 

なのに卑怯とはどういうことだろう。

 

「その・・・・・・安達は一度も女性経験が無いですよね。僕はそのことに付け込んでるんじゃないかなって」

 

「付け込む?」

 

「だから、もし安達が女性とそういうことになったら、やっぱり相手は女性の方がいいって思うんじゃないのかなって ・・・・・・」

 

柘植は手にしていた箸を置いた。

 

黒沢の懸念はわからなくもないが、その問いかけは明らかに愚問だ。

 

「黒沢さん、安達と同じ立場の人間としてお話しますが」

 

意外なことを聞かされたかのように黒沢は大きく目を見開いた。

 

柘植が安達と同じ立場と言う意味が分からない。

 

「実は僕も30歳まで童貞だったんです」

 

「え? そうなんですか? ごめんなさい、立ち入ったことを聞いてしまって」

 

慌てて詫びる黒沢に柘植は心の中で小さく笑った。

 

黒沢に聞かれたわけではない、言わなくても良いことを自分から打ち明けたのだから。

 

そして見下すでも呆れるでもなく、黒沢はまるで自分が無神経なことでもしたかのように素直に謝った。


こういうところが、その優しさが、安達が彼を一人の人間として好きになった理由なのだろう。

 

「僕も湊が初めて付き合った相手です。だから安達の気持ちがよくわかります。でもそれは僕の口から言うことじゃない。黒沢さんが正直に聞いてみたらどうですか。隠し事をするような仲じゃないでしょ」

 

穏やかに微笑む柘植の最後の言葉が胸に刺さる。

 

何よりも安達の前で心を隠すことはしたくない。

 

安達だって、どんな時でも二人で気持ちを分かち合うことを望んでいるはずだ。

 

そして親友である柘植はそのことをよくわかっているのだ。

 

「はい」

 

晴れやかな顔でうなずく黒沢に柘植はふと思い出したように提案した。

 

「ところで、そろそろお互いに敬語はやめにしませんか? 同い年ですし」

 

「はは、そうですね。僕もそう思います」

 

ここまで言うと、互いに顔を見合わせて笑った。

 

結局は敬語で話している。

 

大切な友人として信頼しているものの、タメ口への道はまだまだ遠そうだ。

 

 

―――――――――――――――

 

その夜。

 

安達の部屋にある小さなベッドに二人で横たわり互いの素肌を抱きしめながら、黒沢は安達の顔を見つめた。

 

黒沢の手で導かれる高みに身を任せ、安達が時折、甘やかな溜息を吐く。

 

この愛らしさを永遠に自分だけのものにしたい。

 

「どうしたの?」

 

突然手を止めた黒沢に目を開けた安達が問いかけると、黒沢は覚悟を決めた。

 

自分の言葉でこれからの二人の関係がギクシャクしてしまうかもしれない。

 

それでも、このモヤモヤした感情をこのままには出来ない。

 

「安達は、こういうこと女の子としてみたいって思うことある?」

 

「はあ? いきなり何言ってんだよ」

 

怒りを含んだような強い口調で安達が言葉を返す。

 

それは当然の反応だ。

 

なんだか自分が卑しい人間のような気がして、黒沢は目を伏せると素直に詫びた。

 

「ごめん、変なこと言った。今のナシ、全部忘れて」

 

安達は瞼をパチパチとしばたたかせると、あらためて黒沢を見つめた。

 

母親に叱られた子供のようにシュンとしているその顔がたまらなく愛おしい。

 

そしてその問いかけは心配性の黒沢なりの気遣いなのだろう。

 

そっとその頬に触れると、安達は微笑んだ。

 

「実は俺さ、一度だけ行ったことがあるんだ、風俗」

 

「え?」

 

黒沢は思わず声を上げた。

 

その言葉は予想外であると同時に大きな疑問につながった。

 

「でも安達、どう・・・・・・」

 

そう、安達は30歳まで童貞だったはずだ。

 

だから魔法使いになったと、都市伝説は本当だったと、以前、安達自身が口にしていたではないか。

 

「うん、そうだよ、行ったけど結局なんにもしなかった」

 

「なんで?」

 

「や、30歳になって、俺、触れた人の心が読めたじゃん。だから相手の女の子が考えてることがわかっちゃってさ」

 

 

―――――――――――――――

 

30歳を過ぎても一度も女性経験が無い安達は、一念発起して六本木にある風俗店に足を踏み入れた。

 

だが、どんな店がいいのかわからない。

 

通りがかりにたまたま見つけたのは少し古さを感じるビルの看板に可愛いらしい天使の姿が描かれた「エンジェル」と言う名の店だった。

 

案内された待合室で数人の女の子の写真を見せられたが、どの子も同じに見えて選べない。

 

「お任せコース」で現れたのは清楚な印象の長い黒髪が綺麗な20歳前後に見える小柄な女の子だった。

 

彼女は薄いピンク色の下着姿で、安達は目のやり場に困り思わずうつむいた。

 

いかにも初めてで緊張している安達の気持ちを解きほぐそうと、女の子は笑顔で世間話や、当たり障りのない質問で場を和ませようとしてくれた。

 

優しそうな子だと思った。

 

けれどその手に触れた途端、彼女が考えていることが安達の頭の中に流れ込んできた。

 

それは男を「イカせる」ための様々な性的テクニックだ。

 

どれも露骨で生々しい。

 

今、目の前で優しく微笑んでいる彼女が考えていることとは到底思えない。

 

そのあまりにも大きなギャップに安達の気持ちはすっかり萎えてしまった。

 

それだけではない。

 

その場で抑えきれず吐いてしまったのだ。

 

 

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「その時に思ったんだ、俺はこういうことは心から好きな人としか出来ないんだって」

 

その人は黒沢だと言いたげに、安達は顔を上げると微笑んだ。

 

「だから今、最高に幸せだよ」

 

安達の言葉とその愛らしい笑顔が黒沢の心にあった灰色の雲を一片の残りもなく吹き飛ばしてくれた。

 

そして胸の奥から熱いものがこみ上げる。

 

―― 安達、好き。大好き!

 

溢れ出る涙を見せないように安達の身体を強く抱きしめると、黒沢に身を預けていた安達が心の中で問いかけた。

 

 

 

―― ねえ黒沢、知らないの?

      俺がどれだけお前のこと愛してるか。

 

 

 

 

 

 

ドキドキおしまいドキドキ