※カクテルの写真は「photo AC」様よりお借りしています。
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「As you like」②
【第二夜】
カルーアミルク & ジンフィズ
「チェリまほ」
OPテーマ omoinotake 「産声」
EDテーマ DEEP SQUAD 「Good Love Your Love」
「西荻窪三ツ星洋酒堂」
OPテーマ I don't like Mondays「entertainer」
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「西荻窪三ツ星洋酒堂」の公式HPは こちら
小説の<目次>は こちら
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企画開発部のコンペ、1次審査の締め切りまであと数日。
安達は仕事帰りにふと思い出して西荻窪にある老舗の文房具店にやってきた。
ここは昔からある文具の品揃えが豊富で、中には安達が子供の頃から使っていた筆記用具も置かれている。
一つ一つを手に取り懐かしさに浸っていると、何かいいアイディアを思いつきそうな気がした。
その帰り道。
「こんなとこにバーがあるんだ」
古い木製の扉が目に入り、立ち止まってぼんやり眺めていると、突然ドアが開いた。
中から出てきたのは黒いベストにネクタイを締めた長身の若い男だ。
この店のバーテンダーと思しき彼はドアに掛けられた<Closed>のプレートをクルリと裏返し<Open>に変えた。
そして彼は突っ立っている安達の姿に気づくとにっこりと微笑んだ。
「よろしければどうぞ、お入りください」
「あ、はい・・・・・・」
バーで酒を飲むつもりなんて全然なかった。
なのに断らなかったのは、優しく促すその顔が何処となく黒沢に似ている気がしたからだ。
夜の7時を過ぎたばかりの店内に、他に客はいなかった。
「どうぞこちらへ」
案内されたカウンター席は、少し古さを感じるものの濃い茶色の天板がよく磨き込まれ、深い艶を保っていた。
「いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますか?」
バーテンダーの雨宮の問いかけに安達は恐縮して頭を掻いた。
「すみません。バーに入ってて言うのもなんですけど、僕、アルコールはあまり強くなくて」
やはり自分には似つかわしくない場所だ。
とりあえず何か一杯だけ飲んだら帰ろう。
いかにもそんなことを考えている安達を見つめると雨宮は笑顔でうなずいた。
「そうですか。それでは・・・・・・」
少し間をおいて、穏やかな口調で問いかける。
「コーヒーはお好きですか?」
「え? はい」
「では、コーヒーリキュールをベースにしたカクテルなどいかがでしょう。甘さの中にホロ苦さもあって口当たりも柔らかで飲みやすいです」
コーヒーという馴染みのある言葉にホッとする。
知らない酒の名前を出されても、ただ狼狽するだけだっただろう。
「じゃあ、それをお願いします」
カウンターに置かれたのは黄色いラベルに<Kahlua>と書かれた黒いボトルだった。
ロックグラスに大きくカットされた氷を入れ黒い液体が注がれると、ほんのり香ばしい香りが漂う。
そこに氷を伝うように牛乳を注ぐと茶色と白の綺麗な層が出来た。
「お待たせ致しました。カルーアミルクです」
恐る恐るグラスに唇を近づける。
「うんま!」
カクテルなのにアルコールの風味はほんの僅かで、どちらかと言うと子供の頃よく飲んだコーヒー牛乳の味がする。
「あ、ごめんなさい」
思わず口から出てしまった言葉は、落ち着いた雰囲気のこの店には合わなかっただろうか。
恥ずかしそうに肩をすくめる安達の無邪気な反応に雨宮は優しく微笑んだ。
「いいえ、喜んでいただけて僕も嬉しいです」
緊張がほぐれた安達はぽつぽつと話し始めた。
「・・・・・・実は、恋人と喧嘩しちゃったんです」
コンペのための企画を早々にまとめなければならないのに、これだというものが思いつかない。
そんな自分に黒沢はあれこれとアドバイスをしてくれる。
それだけでなく、安達が集中できるよう傍で細かく気を配ってくれる。
「俺のためにいつも色々と気を遣ってくれてるのに、期待に応えられない自分が情けなくて」
黒沢の優しさがいつしかプレッシャーとなって安達の心に重くのしかかる。
黒沢は悪くない、何も悪くないと頭ではわかっているのに・・・・・・。
「だからつい、ほっといてくれよ。なんて言っちゃって」
なぜあんな思いやりのないことを言ってしまったのだろう。
大好きな黒沢を傷つけてしまった。
―― ありがとう。
たった一言、そう言うだけで良かったのに。
肩を落として深い溜息を吐く安達に、雨宮はうなずいた。
「実はこのカクテルには、カクテル言葉があるんです」
「カクテル言葉?」
「はい、花に花言葉があるようにカクテルにも色々なカクテル言葉があるんです」
「へぇ、じゃあ、これにはどんな?」
「はい・・・・・・」
雨宮は少し言い淀むようにわずかに間を置いたが、やがて安達の顔をまっすぐに見つめた。
「『臆病』・・・・・・です」
「え・・・・・・」
困惑の表情を見せる安達に、雨宮は慌てて言葉を添えた。
「あ、失礼しました。ご気分を害されましたか?」
「いえ、本当のことですから」
安達は視線を落とすと首を横に振った。
その通り、自分は臆病なのだ。
企画を考えていても、どうせ受け入れてもらえない、誰にも認めてもらえない、そんな言葉がいつも一歩踏み出す邪魔をする。
「実はカルーアミルクをお出ししたのは、本当にたまたまなんですが、今のお客様のお話を聞いてこの言葉を思い出したんです」
雨宮の言葉に安達は納得したようにうなずいた。
「俺、ほんと、とことん駄目なやつですよね。一生懸命に応援してくれる人の期待にも応えられない」
臆病で、不器用で、何の取り柄もない。
こんな自分を愛してくれた黒沢にも申し訳ないと思う。
「・・・・・・期待に、応えなくてもいいんじゃないでしょうか」
「え?」
意外な言葉に驚いたように顔を上げる安達に、雨宮は確信に満ちた顔つきで言葉を続けた。
「お相手の方はきっと、一生懸命に努力なさっているお客様を支えたいと思われているのではないでしょうか。結果はどうあれ、お二人で努力できることがお相手の方のお幸せだと思います」
雨宮の言葉の一つ一つが心にしみる。
ああ、そうだ、黒沢ならきっと、たとえ失敗したとしても笑顔で迎えてくれる。
わかっていたはずなのに、その大事なことに今あらためて気がついた。
「そうですね。その通りだと思います」
グラスを再び口元に運ぶと、安達は残りをグイと飲み干した。
コーヒーのほろ苦さとミルクの甘さが溶け合って舌と喉に染みる。
「もう1杯、今度はお勧めのカクテルをいかがでしょうか」
雨宮の問いかけに安達は笑顔で応えた。
「はい、お願いします」
銀色のシェーカーに、グリーンのボトルに入ったドライジン、レモンジュース、シロップが注がれる。
氷を入れ蓋をされたシェーカーが、少し斜めに構えた雨宮の手で軽やかな音を立ててシェイクされる。
思わず溜め息が出るようなカッコ良さ。
日頃、居酒屋ぐらいしか行くことのない安達はポカンと口を開けて見つめた。
最後に氷の入ったタンブラーに注がれ、小さな無数の泡を立てるソーダで満たされた。
「お待たせしました。ジンフィズでございます」
「レモンジュースと炭酸水の配合を通常より少し多めにして爽やかな口当たりに仕上げております」
雨宮の言葉に安達はうなずいた。
なにかさっぱりしたものを飲みたいと思っていたのだ。
「ああ、美味しいなぁ」
ミルクの甘味が残る喉を爽やかな炭酸が洗い流してくれる。
「これにもあるんですか? カクテル言葉」
笑顔で問いかける安達に、雨宮も微笑んだ。
「はい、『ありのままに』です」
―― ありのままに
今の自分を、不器用で臆病な自分を、黒沢は受け入れてくれた。
背伸びをする必要なんかない。
そう思うとなんだか心が軽くなった気がする。
全て飲み干すと安達は立ち上がった。
「ありがとう。とても楽しかったです」
それは決して社交辞令ではない。
どちらかというと苦手な酒を飲む場所、しかも初めての店に一人でこれほど幸せな時間を過ごせるとは思ってもいなかった。
「またお越しください」
「はい、今度は・・・・・・二人で来ます」
憂いの消えた安達の表情に、雨宮も笑顔を返した。
「お待ちしております」
店を出ると、安達はあらためて閉じられた扉を眺めた。
日頃、洒落た店などほとんど知らない自分が、この店に、この素敵な空間に黒沢を連れてきたら、きっとびっくりするに違いない。
その時の黒沢の驚いた顔を想像して、安達はくすくすと笑った。
💖おしまい💖