私が家族への深い愛情を持って闘病を支えているから取材したいと言う感じのメッセージが先ほど来てました。
一応、所在や社名にお名前も書かれていましたが…なんで私?です!
そもそもタイトルに『別居夫』って書いてあるじゃない?
それに取材したいなら今まで書いた物を読んだはずだから、私と夫の関係が上手くいっていないのは読めばわかると思う。
大学病院の看護師が在宅を勧めてきたのも、完全にがん支援センターなども巻き込んで『無理』と拒否したことも全部赤裸々に描いているんですけど。
自分が寄り添えないと分かっているから(そもそも夫も望んでいない)緩和ケア1本で看取りに向かっている訳で、そんな私を取材して寄り添うのテーマからかけ離れていると思わないの?
そりゃ、看取りに向かうからと言って病院に完全に任さられるわけではないのは元が介護職だから分かっているので、出来る範囲のことはしてますよ。
だけど、それは家族と言うより介護職としての目線からが大きいと思う。
施設や病院で出来る事、これは負担になるからこちらでやった方がいい事なんかの見極めをした上で、私と娘だけで出来る範囲のことをしてるだけなんですもん。
側についてかいがいしく長時間あれこれやっていた実父に対する母や叔母とは明らかに熱量が違うなって思う(熱量の方向性が知識のなさで空回りしていたのは困ったもんだったけど)
固形物を受け付けなくなって、ゼリーも受け付けなくなったなら、飲み物で飲めそうな物くらい家族なら誰でも準備するでしょうに。
飲んだ時の反応や対応についてどうするかを見分けられるのは介護職だった経験からで、その状態を看護師に報告して、いない時間の対応を頼むのはベット上で頭を上げていることも長くできなくなった夫ですから、何かあった時にナースコールを押すのも出来ない可能性だってある訳で、情報の共有は絶対ですから。
本人が好きそうな物で飲めそうな物をあれこれ揃えるぐらいはしますよ。
それで寄り添っているとか言われると、どこが?って私は思ってしまうんです。
緩和ケアを夫の看取りの場所に選んだ、急変があるのも分かった上で。
緩和ケアでは蘇生処置をしないのでその場合は最期を看取れないことも十分にあり得る。
私が選んだのはその形です。
寄り添うということの定義は難しいけれど、少なくとも患者が家に居場所があって、そこで過ごしたいと思える場所で看取りを行うのが寄り添ったと言えると私は思っているんです。
ただ、私の場合は夫が自閉傾向のあるADHDなので(確定診断はありませんが育成歴から見てもほぼ間違いない)1人である方が楽だし、同じ何かを言われるのでも家族からだと「うるさい」と拒否反応から入る母子関係の歪みから来ている問題があるので、他人である看護師さんの方が仕事と割り切れるので夫も気楽なのを理解しているだけです。
なんだろうね、夫の終わりが近い時にこうゆう取材とか怪しすぎません?
取材した結果を本にするから出版費用を出せ、とか言われそうな匂いがしたのでメッセージの送り主を拒否リストへ入れました。
私から見たらもっと他に寄り添って最後に向かっている家族も、実際に看取られた家族もブログで拝見させてもらっているので、本当にそういう姿を書きたいなら、私じゃない感がすごい。
あ、そういえば今日の腎臓がんのランキングで前回の記事が4位になっていた。
内容も緩和ケアだし、別居に至る問題は書いていない回なので、それだけ読んでこいつは釣れそうと思われたのかも?
この前のアメトピがイヤで、順位をチェックしているんですよ。
場合によっては一度は下書きに下げるくらいするつもりで。