昨日は、いい推しの日とやらでしたそうで、、、



最近の推しは?

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「推し」という言葉を耳にする度に思うことあり。

「私に推しはいるのか?」

あんた、あれだけミッチー、ミッチー言っていて、どういうこと?
と、己で突っ込みを入れてみる。

「推し」の定義とは何か?

「推し」とは、「人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう」(Wikipediaから引用)

おそらくこれは、狭義。

以下は、私の個人的な気持ちであり、他の方々の想いや行為には一切関わりのないことであるのとを前提としてお読みいただきたいです。

私はミッチー(及川光博)を「推し」ていると言うことには、抵抗を感じている。
まず、「推し」という言葉には、なんかこう「推す」側にのみに選択肢あり、主体があるような気がするのです。(個人の感覚です)
つまり「推し」では、思いが一方的である。(個人の意見です)

ベイベーとミッチーは、愛し、愛される関係キラキラ
決して一方通行なものではない。
そういう想いで、私は「推し」という言葉に違和感をいだいてしまう。(しつこいけれど、個人の感覚です)


私が、「言葉」にこだわり過ぎているのかもしれないし、
それこそ「推し」とは、「推し、推される」ということなのかもしれない。

或いは、ミッチーに愛されているというのは全くもって幻想なのかもしれない。
ミッチーから、こちらに想いをかけていただくなど、それこそおこがましい。
一方的にこちらが「推させていただく」、それが正しい下僕の姿なのである。

とも考える。

だが、やっぱり私はミッチーを「推し」ているのではなく、ミッチーを「愛し」ていると感じている。

以上、本当に感覚的で、個人の意見でした。
失礼いたしました。
m(_ _)m