人間が見ていなくとも、花は咲く。
なぜなら、花は人の為に咲くのではないからだ。
などと思っていたのだが、、、、
佐倉市のチューリップ畑では、80万本のチューリップが刈り取られた。
花が咲いていると、見に来る人がいるからだという。
とても皮肉で、悲しい話だ。
愛でられることなく、ただ咲くことすら、許されなくなってしまった花。
80万本のチューリップは、自然に生まれてきたものではない。
人の目を楽しませる為だけに植えられて、育てられてきた花だ。
もしも人がいなければ、植えられることも、咲くこともなかった花。
咲かせたのが人なら、散らすのも人。
咲かすも、散らすも人の自由だと、言えるのかもしれない。
だが、思うのだ。
もしもイベント中止後、あのチューリップ畑に人さえ来なければ、花は刈り取られず、花は花として咲いて、そして静かに枯れていけたのかもしれない。
人の心は、荒んでしまうから、うるおいを求める。
花を見たり。
パチンコをしたり。
サーフィンをしたり。
そんなことをして、心を慰めたいのだ。
そうして、花は刈り取られ。
命は刈り取られていく。
こんな世界で、人の心の中に、花は咲くことはないのだろうか。
人には見えなくとも、どこかで咲いていて欲しい。