さて、お休みですね。

実母が、よりによってこの休日の真ん中の1時半に美容院の予約をぶち込んできやがった。

毎週、私の土曜日をもれなく搾取し続けているというのに、人のたまさかの祝日すら根こそぎ自分の為に利用しようとするその性根。

スバラシイです。

これで、私に迷惑をかけていない、優等生な母親だと思っています。

スバラシイです。

 

母には、一貫性があります。

もちろん、その一貫性は自分の都合よく、変幻自在です。

これを一貫性と言っていいのかと言えば、「?」な感じですが、一本筋が通っていて、決してそこはぶれない、というところが一貫性の正体です。

それはナニかというと

 

「自分の都合のいい人間が、良い人間。そして私は、良い人間」

 

というところ。

つまり、自分至上主義を貫いている。まことに羨ましくも、お近づきにはなりたくない性質を持って生きているのです。

 

では、私は母をこんなに憎んでいながら、何故その憎悪を直接母に口頭でつき付けないのでしょうか?

母の要求など無視して、母を放置できないのでしょうか?

産んで、育ててもらった以上、これを無下にはできないという呪いでしょうか。

親はそれを自覚的にか、無自覚的にか知っていて、それを行使します。

子は、それを自覚的にか、無自覚的にか受容してしまう。

それが、親孝行の正体であるるのではないか……と、思うことにしています。

世間体というのも、もちろんあります。

ワタシにも、そういうのはバッチリあります。

そして、何より、母を放置すれば、メンドクサイことになることが目に見えているからです。

そのメンドクサさと、私の時間や精神を削ってでも、平穏に母の要請に応えるメンドクサさとを量りにかければ、後者の方がその度合いが低いと思われるわけです。

 

それほどに、母は面倒な存在です。

 

まあ、私の実母が特殊なのかというと、親と言うのはそういうものなのではないかと、最近は思うようになっています。

 

え? 違う?

 

そうなんです。

家庭や家族はそれぞれで、他者のそれを体験することがきわめて困難な為、比べることができない。

本当に仲の良い、愛にあふれた家族というのは、存在するのか。

私には想像できませんが、あるのかもしれないですね。

 

そういう方のお話を聞いてみたいような、聞きたくないような、まあ、人は人、私は私ということで、このへんで終わらせていただきます。