さて、私はミッチーのベイベーである。

注釈をしておくと、ミッチーとは歌手であり、一般世間では俳優という印象の強い(らしい)及川光博氏のことである。そしてベイベーとは、及川光博氏の女性ファンをさす呼び名である。
さらに言えば、ミッチーとは、ダンサーシンガーソングライターである(他の方の曲を歌うこともあります)。
つまり、歌って踊って、喋って、いろんな役を演じられる人です。
しつこく言わせていただければ、キラキラの詰まった夢の宝石箱のような人である。


さて、私がミッチーのベイベーになって18年です。
そして今年は、ミッチーのめじゃあでびゅう20周年です。
つまり。。。私は2年遅れてきた女なのです。永遠に、これはなかったことにはなりませんが、まあ、未来に希望をもって生きていこうと、おもっております。

ミッチーのワンマンショーが私に及ぼす影響について考察してみよう。
まず、行く前・・・
「何を着ていくかを考えるのが楽しい」
行って、参加している時は・・・
「とにかく楽しい」
終わって、帰るときは・・・
「真っ直ぐ歩くこともできない程にヘロヘロでも幸せを感じている(この幸福感は翌日以降も続く)」

ミッチーのワンマンショーは私には、なくてはならないものなのです。

暫くワンマンショーに行かないと、禁断症状がでてきます。
かなり気持ちが乱れます。
「生ミッチー渇望期」が長ければ長い程に、症状は悪化の一途をたどります。

さて、ある時期までミッチーのワンマンショーツアーは12月ごろに始まり、春に終わるというパターンが数年続きました。つまりは、夏から11月までが、生ミッチー渇望期となります。(ただし、この途中で新しいツアーの予告や先行予約が入ります。)この時期を「ワンマンショー後の幸福感」の貯金とDVDなどで過ごし、次のワンマンショーへの参加準備へと移行していけば、またワンマンショーの季節がめぐってくるということです。知らず知らずのうちに、ベイベーのココロと体は、このパターンに慣らされていったのです。
ところが、このパターンを破るという事態が発生しました。

これを『相棒』事件その1と呼びます。

『相棒』事件は、ベイベーとしてぶつかった初めての大きな危機でした。
ドラマ『相棒』の相棒役となったミッチー。それまでミッチーを知らなかった人もミッチーを知るきっかけになったドラマ『相棒』・・・
『相棒』は、毎年10月から2クール放送されるドラマである。つまり、ミッチーのワンマンショーツアー時期にかぶってしまうものでした。
12月になっても、ワンマンショーツアーが始まることはなく、予告さえ出ず、私は先の見えない暗いトンネルに入り込んでしまったのです。
ワンマンショーがない。ということだけで、心身ともにバランスを崩し、空しさや寂しさに支配された結果、人はどうなるのか。どういう行動に出るのか。
何か代替にならないかを模索し、そのとき手に入るものの中に喜びを見出そうとしてしまう。
つまり、浮気です。
「このままではベイベーではいられなくなるのではないか」
と、本気で思う時もありました。もしかしたら、ベイベーの中には、この時期にベイベーではなくなった方もいたかもしれません。

『相棒』事件その1は、私を苦しめ、そして試していたのです。(続く)