こんにちは。あすぎです。

お久しぶりです。

必ず更新していたブログを、お休みしてから、

あっという間に、季節は、春めいてきました。

昨日は、震災から2年。

節目の一日でした。

各局の報道番組を眺めました。

そう、今の私には、

「見る」という感覚よりは

「眺める」という、感覚の方が

近い想いがします。


誤解のないように記述いたしますが、

受け止めきれない現実の日々があるのだということを、

実感しています。


そういう意味では、震災を体験され、

今も、解決も改善もされない時間の中で、

過ごされている方々の想いは、

震災直後の私よりは、痛感しています。


ここからの、そして、これからの記述は、

人の生死に関わる話題になります。

不適切な表現や、不快に感じられる表現が、

含まれる場合がございますので、

予め、ご留意ください。


とある、冬の一日、1月28日のことです。


この日は、母の脳神経科の受診日でした。

昨年末に、緊急入院して、わかったことなのですが、

この数年、2年弱かな?

脳に腫瘍ができ

軽い麻痺や痙攣などがあったのですが

概ね良性の腫瘍と、思われること

外科的手術で摘出が、困難な部位であること

などから、投薬で経過観察をしていました。


しかし、

どうもこのところ様子がおかしいので、

年明けからの精密検査の結果を、この日に聞きました。


概ね良性と思われていた脳腫瘍が、

悪性に転換し、脳を圧迫しているために

麻痺や痙攣が多く、程度も悪くなっている

ざっくり言えば、そんな説明を受けました。


さらに衝撃だったのは、

進行程度も、グレードの3~4。

このまま何もせず、経過観察をしている場合、

余命3ヶ月から4ヶ月と言われました。

「意識がなくなってからは、早い」

今でも、そんな言葉が、耳に残っています。


手術をしても、完全には、切除できず、

さらに、

左半身が、ほとんど動かなくなるという、

身体機能障害、運動障害をきたす部位にあります。


通院している病院は、大学病院ではありますが、

脳神経に特化した病院ではなく、

単なる地方にある、総合大学病院です。

転院や、セカンドオピニオンもご提案いただきましたが、

脳神経以外にも、

糖尿病、C型肝炎、高血圧、薬のアレルギーなど、

他との関係、

既に保険なども加入していないための

経済的な問題から、選択肢は、限定的でした。


外科的手術をするならば、

「一日も早い方がいい」


結論は、出せず、というか、

私自身が、衝撃から受け止めきれず、

兄に連絡をして、その日は、帰りました。


母には、詳細は、話せませんでした。



そして、その日は、

また、別の事が起こっていました。


義理の父が、心臓の動脈瘤の手術を受けている日でもありました。

「2時間程度だから、大丈夫」


やはり、

昨年の11月に、胸部の痛みの発作を起こし

入院。

年明けには、バイパス手術を受けた方がいいとの事で

23日から入院し、手術日を迎えました。

義母も付き添い、

「大丈夫、大丈夫」と言っていた義父。

実際のところ、

それほど、心配をしていませんでした。


そして、

母の事で頭がいっぱいで、

ぽろぽろ泣きじゃくっていた私に

義理の母からの電話。


「お父さんがね、お父さんがね、大変なの。

足が動かなくなるかも、大変なの、大変なの!!

明日、きて、病院に来て!」


パニック?になっているため、要領を得ません。


母の事で、頭がいっぱいになっていた私。

義理の母の、要領の悪い話は、いつもの事、

「やばいなぁ、心臓のバイパス手術、どうだったんだ?

でも、明日でいいの?」


夫にも連絡があったのですが、

あまりの要領の悪さで、

それ以上のわかる事がなく

物事の深刻さも、受け止めきれず、

翌日に持ち越してしまいました。


眠れないまま、29日。

さらに、義理の母との話で、わかったことは、

1、意識は、ない

2、特別な部屋にいるらしい
…手術室の近くで、インターフォンがあって、勝手に出入りできない部屋
と言っていました。

3、主治医が7時位に話ができるので、それまでに来てくれ

その3点。


状態がわからない、いらつき、そして、心配しながら

23時前には帰ってくる事は、ほとんどない夫が、

17時くらいに帰宅。

二人で千葉の病院に向かいました。


そして、指定された場所は、やはり、

ICUでした。


父の面会前に、担当医兼執刀医の経過を聞きました。

動脈瘤のバイパス手術は、成功したのですが、

7万人に一人?らしい合併症を併発。

その発症も、例外的で、今までにほとんど例(症例)がなく、

特効薬とされている唯一の薬が、全く効果がない。


いわゆる

「危篤」状態でした。


ICUで横たわっている義父のベッドサイドは、

見慣れぬ数々の機器で、近寄るのさえも難しく

TVで聞くような、緊張感を誘発する音が

鳴り響いていました。


医師の言葉は、

「これ以上、血圧があがらない場合は、

もはや、人工心肺装置をつける以外、方法がありません」


「大変残念ですが…」


遠方にいる、義妹に連絡した方がいいのか?

と訪ねると、

「してください」

と、即答。


予期せぬ、想いもしない衝撃、現実。

説明も理解も、できていなかったかもしれない。


「急変があった場合は、連絡します」

というので、とりあえず、

親戚への連絡もあり、帰宅しました。


しかし、その日の夜、23時頃

人工心肺装置に切り替えたとの連絡が入りました。



一度もブログにも、

そして、生活の中でも

言葉にも出さなかった

「頑張れ、がんばれ、ガンバレ」

という言葉。


好きではなかったので、

意識して、使う事もさけていたのですが、

何度も、何度も念じました。



「大丈夫、大丈夫」

自分自身に言い聞かせました。


義父は、約6日。

頑張って、残念ながら、意識は戻る事なく、

2月2日に、人生の幕を降ろしました。


あっという間の出来事でした。


「心が潰れる、ちぎれる」

どの言葉も、自分の想いを伝える事はできず、

そして、コールタールのような

濁ったドロドロの冷たい液体に沈んでいくような

息苦しさ、重苦しさ

感情が、山ほど吹き出しそうで、

しかし、実際は、空虚で

そして、妙に、いらだっていました。


なので、ブログは、閉じました。


再開しようと思ったきっかけは、

時間の経過

が、救いになりました。


また、

必要な情報を探して、検索をかけましたが

欲しい情報、役立つ、参考になる情報が、

きわめて少なかった事



そして、

昨日の震災報道


悲しみが、悲しみを癒す

あきらめる事を受け入れる

動かない心と、重い体でも、時間が流れ

花が咲き、

そして、残されたものは、

「生」について、

とまどい、考え、想い、あきらめ、喜びの種を見つけ

望むと望まざると

自分でコントロールできる事の小ささの中で

選択肢なく、今日をやり過ごす事が、

エネルギーかもしれないと感じた事

明日も陽は、昇る


順当であれば、親を見送るのが子の役目

としても、

いざ、その瞬間は、

予告もなく、ある日、突然やってきます。


私が通った轍を、シェアさせていただく事で、

読んでくださった方の一助にしていただけましたら、

幸いです。


そして、綴る事によって

私自身が、少し、客観性を取り戻す事ができたら

と、願っています。


長々とお読みいただき、ありがとうございます。

ご不快に感じられた方には、お詫び申し上げます。