相談を受けた時、
「私なら、こうする」
という
アドバイスをされる方がいます。
それが、
良い、悪い
というものでは、ありません。
もちろん、
相談の内容にもよります。
相談者もある程度、答えやヒントをくれると
思っているからこそ、相談するのであって、
カウンセリングでもない、
友人間では
特にあることでしょう。
「私なら、こうする」
決断力?リーダーシップ?
期待を裏切らない?
何より、毅然としていて
「かっこいい」
親身になって考えている
例え、それが、
結果として間違っていても
自分の信じる人からのアドバイスなら、
諦めがつく…。
相手の事なので、
何とも分かりかねます。
ただ、自分がそう思うから?
…果たしてそうなのでしょうか?
私の友人がぽつりと言いました。
「相談をされたんだけど、
僕には問題が大きすぎて、
答えが出せなかったんだ。
僕の考える方向はあっても、
それが、必ずしも
その人にとって、ベストか
どうかも判断がつかなくてね。
もし、それで、間違ってしまったら、
取り返しがつかない。」
確かに、
「私なら、こうする」というのは、
その人本人の経験や価値観や倫理観、常識と
相談者との人間関係から導きだされます。
しかし、全部、相談者のバックグラウンドが
理解されている事は少なく、
相談を受けた方の考えによる最善策、
もしくは
「自分なら~」と思われる考えが、
告げられることになります。
「悩みは神様からの宿題」
「乗り越えられない悩みは神様は出さない」
など、心理学の世界では語られます。
なので、カウンセラーは
アドバイザーでも、
人生相談でもないので、
本人が導きだす答えの支援はしますが、
答えを語る事はありません。
ただ、カウンセラーと
クライエントという立場ではなく、
身近かな人間関係の場合、
例え、ライセンス保有者であっても
「何か、答えや想いを提示したい」
という想いに駆られてしまうのは
人間として、普通の感情でしょう。
それでも、
それが出来なかった事を悩んでしまう。
その問題の内容については、
多くは語られませんでしたので、
うかがい知ることができません。
ただ、私も、
同じような経験をした事があります。
自分のもっとも信頼している女性に
相談した時の事です。
「それは、私には答えが出せないわ」と…。
人には経験できる事には限界があります。
それ以外は、今までに培った経験と
倫理観で補うしかありません。
しかし、
それ以上の問題の相談を
受ける事があります。
「私なら、こうする」
と言い切れる自信がありません。
問題が、その人の人生や
生命に及ぶ時など、
取り返しのつかない場合など
責任を取りたくても、
取りようがない事もあります。
「長く生きてると
「保身」に走るのかなぁ」
とその彼は言っていました。
「保身」も生きて行く上で、
大事な智恵の一つ。
ただ、それ以上に、
相手の事も想い、自分の事も思う
どちらにも誠実でありたい。
人との距離感の微妙さを感じました。
ただ、私は、あの時、
言われた事を受けて思った事は
「それだけ、重大で難しい問題なのね」
と感じ、
「間違っても仕方ないから、自分で決めよう」
と逆にさばけました。
相談しても答えが出ない事は
自分で出すしかない…。
その事を話すと、彼女は
「そう決めたのね、応援するから」と…。
さらに、もっと年上の
70才代の方に相談した時は
「人生」について、
語られてしまいました。
こうなると、
答えや具体的なアドバイスではなく、
「壮大な人間というロマン」
になります。
「私ならこうする」
潔くて、カッコよくて
親身な感じがします。
でも、それができなくても、
「まぁ、よし」とする
自分と身近な相談者の人間関係を
大事にしたいと思った出来事でした。
今日の出来事でした。
おやすみなさい。

「私なら、こうする」
という
アドバイスをされる方がいます。
それが、
良い、悪い
というものでは、ありません。
もちろん、
相談の内容にもよります。
相談者もある程度、答えやヒントをくれると
思っているからこそ、相談するのであって、
カウンセリングでもない、
友人間では
特にあることでしょう。
「私なら、こうする」
決断力?リーダーシップ?
期待を裏切らない?
何より、毅然としていて
「かっこいい」
親身になって考えている
例え、それが、
結果として間違っていても
自分の信じる人からのアドバイスなら、
諦めがつく…。
相手の事なので、
何とも分かりかねます。
ただ、自分がそう思うから?
…果たしてそうなのでしょうか?
私の友人がぽつりと言いました。
「相談をされたんだけど、
僕には問題が大きすぎて、
答えが出せなかったんだ。
僕の考える方向はあっても、
それが、必ずしも
その人にとって、ベストか
どうかも判断がつかなくてね。
もし、それで、間違ってしまったら、
取り返しがつかない。」
確かに、
「私なら、こうする」というのは、
その人本人の経験や価値観や倫理観、常識と
相談者との人間関係から導きだされます。
しかし、全部、相談者のバックグラウンドが
理解されている事は少なく、
相談を受けた方の考えによる最善策、
もしくは
「自分なら~」と思われる考えが、
告げられることになります。
「悩みは神様からの宿題」
「乗り越えられない悩みは神様は出さない」
など、心理学の世界では語られます。
なので、カウンセラーは
アドバイザーでも、
人生相談でもないので、
本人が導きだす答えの支援はしますが、
答えを語る事はありません。
ただ、カウンセラーと
クライエントという立場ではなく、
身近かな人間関係の場合、
例え、ライセンス保有者であっても
「何か、答えや想いを提示したい」
という想いに駆られてしまうのは
人間として、普通の感情でしょう。
それでも、
それが出来なかった事を悩んでしまう。
その問題の内容については、
多くは語られませんでしたので、
うかがい知ることができません。
ただ、私も、
同じような経験をした事があります。
自分のもっとも信頼している女性に
相談した時の事です。
「それは、私には答えが出せないわ」と…。
人には経験できる事には限界があります。
それ以外は、今までに培った経験と
倫理観で補うしかありません。
しかし、
それ以上の問題の相談を
受ける事があります。
「私なら、こうする」
と言い切れる自信がありません。
問題が、その人の人生や
生命に及ぶ時など、
取り返しのつかない場合など
責任を取りたくても、
取りようがない事もあります。
「長く生きてると
「保身」に走るのかなぁ」
とその彼は言っていました。
「保身」も生きて行く上で、
大事な智恵の一つ。
ただ、それ以上に、
相手の事も想い、自分の事も思う
どちらにも誠実でありたい。
人との距離感の微妙さを感じました。
ただ、私は、あの時、
言われた事を受けて思った事は
「それだけ、重大で難しい問題なのね」
と感じ、
「間違っても仕方ないから、自分で決めよう」
と逆にさばけました。
相談しても答えが出ない事は
自分で出すしかない…。
その事を話すと、彼女は
「そう決めたのね、応援するから」と…。
さらに、もっと年上の
70才代の方に相談した時は
「人生」について、
語られてしまいました。
こうなると、
答えや具体的なアドバイスではなく、
「壮大な人間というロマン」
になります。
「私ならこうする」
潔くて、カッコよくて
親身な感じがします。
でも、それができなくても、
「まぁ、よし」とする
自分と身近な相談者の人間関係を
大事にしたいと思った出来事でした。
今日の出来事でした。
おやすみなさい。
