私は2歳の頃からアトピーです
小さい頃は乳製品、卵、小麦粉など食べられませんでした。
小さい頃から顔が赤くて、身体中に引っ掻いたあとがありました。
私の場合関節に出ることが多かったです。
私の通っていた小学校では給食で牛乳が出ていました。
私は牛乳が飲めなかった為、家から毎日水筒を持っていっていました。
みんなと違うことが本当に嫌でした
みんなと違うことが恥ずかしくて、周りの目を気にしながら水筒を出す毎日。
特に新しいクラスになった時は、水筒を出すのが嫌でした。なんで1人だけ水筒なのって言われるのが嫌で、アトピーだからって言いたくなくてアトピーなのを知られたくなかったです

小学校高学年になるにつれて以前よりアトピーを気にし始め、体育でショートパンツを履く時は掻いた跡を隠すために長い靴下を履いたりしてました。掻いた所から浸出液が出て、靴下にくっつく。そんなのが毎日でした
なんで私はアトピーなんだろう、なんで私だけなの、周りの子はつるつるすべすべな肌。
私らガサガサ赤くて汚い肌
そんな違いが現実が辛くて辛くてしょうがなかったです。
小学校の体育祭の前、組体操で靴下を脱がないといけなくて、アトピーが見られるのがすごく嫌で、練習を休んだこともありました。
たかがアトピーで休むのって思う人もいるかも知れないですが、私は見られるのが知られるのが嫌でした。
アトピーのせいで、したいことも出来ない
心身共に辛い。ほかの人には分かってもらえない
どうせお父さんもお母さんも私の気持ちなんてわからないって思っていました

お父さんとお母さんになんで私をアトピーに産んだの?なんでこんな辛い思いしないといけないのもう外に出たくない!!死にたい!!!
って泣きながら言ったこともありました。
その時にお父さんが泣いて変われたら変わってあげたいんだよって私に言ったのを今でも覚えています。その時たくさん泣きました。普段は泣かないお父さんが私と一緒に泣きました。
そしてこれは最近知った事なんですが幼稚園の頃の連絡帳を見つけて中身を見た時に、お母さんが先生に今日は痒みが強そうです。かゆい時は薬を塗ってあげてほしいですとか、今日は痒みがなく、機嫌がいいですとか私の心配ばっかり連絡帳に書いてあってお母さんは私の事を本当に気にしてくれて、私の為に頑張って治そうとしてくれたんだって思いました。涙が止まりませんでした。
2人とも私のアトピーを治すために努力してくれていました。

次に続きます