「修行」と聞くと、どのような印象を抱かれるでしょうか?   


    修行という言葉は元々、仏教で精神を鍛錬する事で悟りに至ろうとする専門用語でした。(実はそこには古代インドから連綿と続いている東洋哲学の真髄が含まれていますが、本題とずれてしまうので別の記事で書きます。)そこから山にこもったり、滝に打たれたりするような過酷なものを思い描く方も多いのではないかと思います。

    しかし、人里離れた山奥で行う事だけが修行でしょうか?   現世が魂の鍛錬の場であることはスピリチュアルについて学んでいる方にとっては周知の事実だと思います。

    私は修行というのは外界から隔離された特別な場所ではなく、(勿論、そのような場所の中でしかできない修行もありますが)多くの人々が普通に生活する場所」こそが正しく修行の場ではないかなと思います。

    「十人十色」という言葉があるように、老若男女を問わず、人間は実に様々な性格をしています。これも個人差がありますが、学生はスクールカーストの中でいじめや不登校などの教育病理と戦い、社会人は職場の人間関係で苦労をしています。

    真の修行とは現実の真っ只中にあります。まだ神に至れない未熟な魂たちがしのぎを削る中でこそ、真の成長はあるのではないかと思います。