『声聞』
2020
木の枝の書道
声聞(しょうもん)とは仏教用語で
教えを聞く者のこと。仏弟子をさす。
そうです。
わたしはこれまで病気で苦しんだことがいくつかあった。
病気によって生活が制限されたり、絶望を感じることもままあった。
だけど「病気や病名にこだわって意識する必要はないんだよ」と
先生から諭されて、ようやくその意味が飲み込めつつある。
自分はこの病気だから人生が楽しめない
という直結した考えは全く必要ないということ。
~だから。
は全く不要。
すごくいいことを言ってるひとがいた。
「壷の中の石」
壷の中に石をぎゅうぎゅうに詰める時
大きな石から詰める方が大事だということ。
それは自分が人生で一番に優先したいものを大事にするということ。
どうでもよい小石から先に詰めてしまうと
本当に自分のやりたかったこと(大きな石)が
入らなくなってしまう。
先に大きな石を入れてから、些細なことは入れていけばいいということ。
そう言われてみれば
自分は大好物を最後に取っておくタイプだ(笑)
緊急になおしたほうが良さそう。
わたしたちの時間(人生)には限りがあるから
病気に理由をつけて、自分を本に解説されているとおりのステレオタイプに当てはめないこと。
それを理由にあきらめてしまうのはもったいないんだなとわかってきた。
先生がわたしに言いたかったことがちょっとわかってきた。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」なんて言ってるひともいる。
もし、いまが不安だったとしても
暇つぶしのうちと考えて
やれるところまでやってみる。
やってみなきゃわからないから
最初からあきらめて何もしない無言の時間を過ごすよりも
ドキドキを楽しんでみる
大きな石をためらわずに
入れてみることを忘れないでおこうと思う。