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最近、三女に習い動画編集してます

まだまだ下手くそで上手にならない(T ^ T)

この場合は写真の方が良いですねwww

何事もいくつになっても挑戦







2024年4月13日(土)の参拝記録






竹生島宝厳寺さん続きです

















ご本堂





琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島に位置する。竹生島は周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で、国の史跡・名勝に指定されている。島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。島には宝厳寺と都久夫須麻神社の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、文字通り信仰の島である。現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれているが、このように区別されるようになったのは、明治時代初期の神仏分離令以降のことであり、竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。



宝厳寺は奈良時代、僧・行基が開創したとされている。行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命(あざいひめのみこと)を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ、大弁才天を祀ったのが起源とされている。しかし、承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して安置したとある。

当初は寺名を本業寺(ほんごうじ)といい、東大寺の支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となった。以降、島は天台宗の僧の修行の場となった。

境内の隣にあった都久夫須麻神社は延喜式神名帳にある通り、浅井姫命を祭神とする近江国浅井郡の神社であったが、浅井姫命は浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する水の神ともいわれることから、平安時代末期頃にはこの神は、仏教の水の神である弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになっていくと、ついには弁才天と同一とされる市杵島比売命も祀るようになり、神仏習合が進んで都久夫須麻神社は当寺と一体化していった。本尊大弁才天を祀る当寺の本堂は現在の都久夫須麻神社の本殿であったことからもわかるように、寺と神社の区別はなくなっていき、寺名と社名も合わさって竹生島大神宮寺や竹生島権現などと名乗り、観音と弁才天信仰の島として栄えた。後には宝厳寺とも呼ばれるようになった。

中世以降、貞永元年(1232年)、享徳3年(1454年)、永禄元年(1558年)などに大火があり社殿が焼失したが、その都度復興している。永禄元年の大火後、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が片桐且元に命じて伽藍を復興している。この際復興されたのが唐門、観音堂、渡り廊下、その渡り廊下と繋がっている本堂(現・都久夫須麻神社本殿)である。唐門は豊国廟(京都の東山にあった豊臣秀吉の霊廟)の唐門(極楽門ともいい、元は大坂城の極楽橋の唐破風造部分である)を移築したものであり、本堂(現・都久夫須麻神社本殿)は豊国廟あるいは伏見城の日暮御殿を移築したものとされる。

江戸時代となっても当寺は弁才天信仰と西国三十三所観音霊場の札所として大いに賑わったが、明治時代となって神仏分離令が出されると、時の政府は本堂である弁才天堂を平安時代の『延喜式』に見える「都久夫須麻神社」という社名に変更することを強要し、1871年(明治4年)には大津県庁より仏教寺院としての宝厳寺は廃寺するように、との命令も出されて危機を迎える。しかし、寺側は大弁才天は神道の神ではなく仏教の仏であると主張して譲らなかった。結局、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離することになり、1874年(明治7年)に「寺」と「神社」の境界が決まり、これまでの寺の本堂が分離した都久夫須麻神社の本殿となった。1883年(明治16年)には寺の財産と神社の財産が区別されて今日に至っている。現状、宝厳寺と都久夫須麻神社は別法人であるが、宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡り廊下で直接連絡しており、両者はもともと不可分の関係にあることがわかる。

寺・社分離以来、本堂がなかった宝厳寺であるが、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に現在の本堂が建立され、再び本尊大弁才天が祀られた。

2013年(平成25年)4月から2020年(令和2年)3月にかけて唐門・観音堂・舟廊下の全体修理が行われた。全体修理は1946年(昭和21年)以来である。修復内容は、檜皮葺の全面葺き替え、彫刻などの彩色修理、漆の塗り直し、飾り金具の鍍金などが行われた。



本尊

大弁才天



こちらでは、ちょっと感動♡♡♡

無意識にも長男のことをお話してしまいましたwww

なので、次は長男連れて来たい愛飛び出すハート

今、7月を狙ってます笑













桜🌸と風景

琵琶湖ですねぇ照れ






















いつもお読みいただき有り難う御座います

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