おはようございます
2023年9月30日(土)の健忘録
この日は少し早めに行動
初めての訪問となります
ある方からの情報で「よし、行ってみよう」
と、なり出発です
読んでね
因幡堂さん
まずは蝋燭とお線香
平等寺(びょうどうじ)は、京都市下京区因幡堂町にある真言宗智山派の寺院。山号は福聚山。本尊は薬師如来。因幡堂、因幡薬師の名で親しまれている。観音堂(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第27番札所。
因幡堂縁起』(『山城名勝志』所収)、『因幡堂縁起絵巻』(東京国立博物館蔵)などに創建の由来が書かれている。縁起は諸本によって内容に若干の違いがあるが、おおむね次のような話である。大納言・橘好古(たちばなのよしふる)の孫である少将・橘行平(たちばなのゆきひら)は、長徳3年(997年)、因幡国司としての任を終えて京に帰ろうとしていたところ、重い病にかかった。ある夜、行平の夢に貴い僧が現れ、「因幡国の賀露津(かろのつ)の浦(現在の鳥取港)に貴い浮き木がある。それは仏の国(インド)から衆生を救うために流れついたものである。それを引き上げてみよ」と言う。行平が賀露津の漁師に命じて、波間に光るものを引き上げてみると、それは等身の薬師如来の像であった。この薬師像を祀ったところ、行平の病は癒え、京に帰ることができた。この薬師像は天竺(インド)の祇園精舎の四十九院の1つ、東北療病院の本尊であった。行平は薬師像をいずれ京に迎えると約束して因幡を後にしたが、その後、因幡を訪れる機会がないうちに長い歳月が過ぎた。長保5年4月7日(1003年5月10日)、行平の屋敷の戸を叩く者がある。戸を開けてみると、それは因幡からはるばる虚空を飛んでやってきた薬師像であった。行平は高辻烏丸の屋敷に薬師像を祀った。これが因幡薬師平等寺の起源であるという。なお、薬師如来像が引き上げられた年を天徳3年(959年)とし、行平は勅命で因幡国一宮・宇倍神社に参拝し、京に帰ろうとした際に病気になったとする縁起もある。一説に薬師仏は因幡国にあった在地豪族・因幡氏の氏寺の薬師寺(座光寺)に安置されていたといい、行平が京都へ持ち去ったとされる。
南都における寺院勢力の強勢振りを嫌い、平安京内には、官寺である東寺・西寺以外に寺院を建立することは禁止されていた。ただし、貴族の持仏堂は建立が認められていた。本寺もこれに相当する。また六角堂(頂法寺)や革堂(行願寺)のような、町堂(辻堂)の建立も認められていた。因幡堂も、これらと並んで町衆の信仰を集めた町堂の代表格である。
平等寺の寺号は、承安元年(1171年)に高倉天皇によって下賜されたものである。
年間約1,000件の祈祷の多くをがんの平癒を祈るものが占めるなど、近年はがん封じの寺として患者などから熱心な信仰を集めている。
本尊
薬師如来(重要文化財)
今日も皆さまが幸せでありますように
※白夜と申します
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修学旅行から帰宅した真流さんお迎えに行った時に・・・
(あぁ、やっぱりお持ち帰りしたか)
真流さん母上も気付いてました🤣🤣🤣
ちなみに放置中
真流さん達よっぽど楽しかったんだろうなぁ
自然に帰るでしょう(帰るだろう予定)
そうそう、長男 今の場所に引っ越してきてから
また、見えだしたそうな
この前は車の後部座席に男の子が座ってたとか
家の庭に腰掛けてたり・・・
あぁ、そりゃ場所が場所だしね 普通だよね
見えるって大変だよね
な〜んて思いつつ聞いてました
でも、1番ビックリなのは長男は私にその話の類を話すと記憶から消えてます(ーー;)
「アンタが1番怖いわ」と、言った白夜さんでした
いつもお読みいただき有り難う御座います
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