人生は愛とロアマン・・・・を目指している。

しかし、まだまだ、

そう言い切れる人生には到達していない。

道半ばなのだ。

まだまだ、でっかい夢を叶えたい。その道半ばです。

その実現のために、

「人生は齢(よわい)重ねて輝け」を胸に秘め、

いやいや,頭に、心に刻み、

行動にして、前に進もう・・・・・

今日

81歳-1歳=80歳からのスタートです。

来年は、82-2歳となりまぁ~す。

 

昨年は、

岡山、広島、大阪、群馬、埼玉、東京都内の高校や中学校にて

沖縄の歴史や文化・食等などの講演活動の他に、

学校の要望により,約160人の生徒達とチンスコウ作り等なども実施。

また、葛飾区立水元図書館40周年記念のイベントでは、

「我が故郷沖縄を語る」などの講演。

川崎にても、旅行者対象に、沖縄修学旅行の話等など・・・

一方、出張料理教室では

埼玉県鶴ヶ島市での親子ヘチマ料理教室や

野菜ソムリエの皆さんとパパイヤや冬瓜料理教室等など実施・・・

又、自宅「沖縄ガチマヤー沖縄料理教室」も、月2回開催。

また、自宅での泡盛ランチ会も賑やかに開催。

 

フリーペーパー「ハイサイうちなータイム」には、

自由発想沖縄料理教室の原稿【202年12月号で63回目)を書くために、

料理を工夫したり、沖縄食材を新しく見つけたり・・・等々でした。

 

そうそう、

私の元気な秘密は、

人と会うこと。笑顔に出会うこと。

お喋りすること。食べる仲間のいること。

一緒に、講演活動でサンシンを弾いて下さる方々のいること・・・

道や電車や飛行機等々でも、何故か、親しくなるのです。

 

一方では、

今、最後の夢の為ににしていること。

それは、FLPのお仕事、私の健康の源を支えている、

アロエベラをお伝えする仕事です。

10月には、9日間の米国旅に参加。

アメリカ国内を大幅移動。移動の飛行機は3回とも、専用飛行機でした。

生まれて初めてです。専用飛行機に乗るのは。大統領になった気分。

グランドキャニオン、ラスベガスや、西部劇の実際のシーン体験等々。

かなり強行日程。然し、ホテルは超一流ホテル。

接する方々の温かさに触れて、感動の日々に時間でした。

帰りにはダラスから13時間。

娘のような若者が、熱を出したりしているのに、

私は、ぴんぴん・元気はつらつで、日程をこなしてきました。

 

早々、普段、新幹線で5,6時間乗ったり、

飛行機でも3時間も平気な私。

早朝に自宅を出て、夜遅く帰宅する講演活動等などの行動力が、

今の自分の健康の源であろうか・・・

 

そんな、私に、人生を考える出来事もあった昨年(2023年)。

8月の大型台風に閉じ込めれた、沖縄在住の一人住まいの実妹が、

突然亡くなったと、沖縄の警察署からの電話。

理由もわからないままに、沖縄へ飛んでいった。

電気が消え、エアコンが使えず、閉じ込めれた結果とか・・・・

友人が気付いた時には、もう、10日も過ぎていたよう。

私にも、顔も、姿も少しも見せてもらえずでした。

 

7月30日に、那覇のデパートで食事をし、姉を見舞い、

また、一緒に来ようね、と、別れてから、

ひと月もたっていないのに。

しかも、ニュースで、沖縄の台風情報で、

停電とのことを知り、

8月4日、5日と電話で安否や物資などを確認したばかり・・・

 

仮葬やお墓・・・・等々・・。

親友や親せきの力を借りての法要の一つひとつであった。

 

葬儀屋さんの凛としての対応に、神々しさを感じるほどであった。

畏敬の念を抱いた。本当に尊い、お仕事を、一つひとつ、丁寧に、

人生の終末を見送るお仕事に、只々、頭下がるのみであった。

今まで、何度も、葬儀等々に参列したが、

父や母の死に目にも、東京から駆けつけて泣いた日々もあったが、

最愛の人を失った悲しみから癒えない日々もあったが、

ただ、悲しみに暮れていて、周りが見えなかった・・・

今回、

死後への心を込めた一つひとつのお仕事に感謝で一杯でした。

心から、ありがとう。ありがとう・・・・と、

涙一杯でお礼を述べた。

 

悲しみは、その場で終わるのではない・・・

全てが終わり、ほっとし、東京へ戻ってから・・

得も言われぬ、複雑な思いに駆られて、涙が止まらなかった。

 

・・まだまだ、やるべきごとがあった2023年。

夫の叔父夫婦の終い墓の事だった。

戦争中に、南洋から引き上げる船が爆破され、亡くなったそう。

遺骨もなく、戦後、夫の父が、

骨壺にサンゴの石を入れて、お墓に埋葬。

戦後79年。

昨年の2023年に終い墓をしなければ、

4年後にしかできない、とのことで、

急遽、お坊さんや本家と相談し、終い墓を実施。

沖縄の風習を知っているようで知らない

自分と向き合う日々でもあった。

しかし、

それらは、

私に与えれた使命であり、

健康な私だからこそ、やり遂げられたと思っている。

 

助けていただいた、義兄や,従妹たち、

親せきの方々や、幼い頃からの知人や友人、

何時でも、心開いて相談にのってくれた

親友たちが、いたからこそ、

滞りなくやり遂げられたのです。

 

感謝、感謝❣以外の言葉が出ない。

 

故郷は遠きにありて思うもの

いや、近きにありと思うもの・・・・・

遠い、近いは、己の心が決めるもの・・・・

 

この2年余、

パソコンに向き合うこともありませんでしたが、

今年は、また、自分と向き合うためにも、

パソコンと向き合い、自分を語っていきたいと思います。

81-1歳を元気な笑顔で、力強く、前に進みます。

私を支えている、多くの若者達の笑顔を紡ぐためにも、

私自身が、健康で笑顔でありたいと思っています。

何よりも、身近で心配してくれる子や孫たちの為にも、

笑顔で元気な出発の日でありたいと思います。

長々と書きましたが、

最後までお読みいただいた皆様に感謝申し上げます。

今年も、よろしくお願い申し上げます。

1月7日81歳の誕生日を迎えて。