アメリカ地獄めぐり
寺山修司 ~アメリカ地獄めぐり~
僕は寺山修司さんのことは良く知らない。
ほとんど知らない。
名前だけは知っている。
『トマトケチャップ皇帝』なる映画があることは知っている。
だけども観たことはない。
そんな感じだ。
『アメリカ地獄めぐり』
偶然にも手に入れたこの本は、手にした瞬間から
さまざまなイメージがコラージュして官能的に襲いかかってくる。
僕が手に入れたこの古本には、
さまざまな所にマーカーで線が付けられていたり、
落書き(メモ書き?)みたいなモノが書かれているのであるが、
その中から気になった箇所を一部以下に抜粋。
『劇場のステージの上は、いいですよ。スカートに手をつっこんでも、
見ず知らずの人の顔にツバをひっかけても、軽犯罪にならないんですもんね。
それどころか、人を面罵しても、殴っても、(満員電車の中で他人に見せては
ならない恥部を公開しても)罰せられるなんてことはありませんし、ね』
虚構を裁く力は、虚構の中にしかない。
~僕は何故かドキュメンタリーのコトを考える。
果たして、ドキュメンタリーは真実を写しているのか?~
私はかねがね、「書を捨てよ、町に出よう」という意見を持っていて、
「本は書斎で読み、セックスは寝室でする」という保守的な考えに反対なのである。
本は青空の下、馬車の上、ときには歩きながら、ときには食卓や飛行機の中で
読みたいし、セックスもまた海岸や芝生の上、納屋の藁束の中や応接間、
ときには木の上や劇場のステージでしたいと思っている。
~無重力空間(今でいうところの宇宙ステーショーン)で体験してみたいと思った~
小新聞の歴史は、反体制運動の歴史であるという、史上の事実が
何よりもそのことを雄弁に物語っているように思われる。
~衰退する紙媒体の中で、発行予定のフリーペーパー『のらくら通信』は、
“手に入れるという行為”が最重要だと考えている。ー高崎ゾンビー~
「どうして誰とでも寝てはいけないのか」
~選択基準は何か?容姿は重要である。
街を行き交う美しい女性たち・・・ムスっとした顔よりは、そりゃ笑顔がいいさ。
その視覚効果だけで幸せな気分になる。
おっと、男達、風俗店の写真選択っていうのには注意が必要だ。
けっして写真は真実を写すモノではないのである。
よく見てごらん。
特に広告には同じ目をした女がいっぱい載っかっているから。~
政治は主に、人たちに何かを禁じる単位である。
政治的な権力は、何々を「してはいけない」ということを私たちに要求する。
それに対して、映画や演劇、詩そうしたものの総体としての芸術は、
人たちに何かを許す単位にかわりつつある。
芸術的な権力というものが、もし存在するならばそれは政治的抑圧から、
人たちを解放し、自由にしようとする営業の中にある