PLATONIC SUICIDE その1
実家で埃に被っていたスーパーエイト(8mmフィルム)を片手に若者は作品を撮りはじめる。
ごく初期は、半ば強引に手伝わされた友人スタッフ4、5名で動いていた様である。
紙粘土で作られた人形が主役の“プレッシャードロップ”なる作品は、
当然のごとく現像すらされずにそのまま残っている。
いわゆる撮りっぱなしである。
「人ごみの足の部分だけが人形の背景に欲しい」とか、「花畑を人形の背景に欲しい」とか、
わがままを言っては、全員でゾロゾロと目的地もなく移動する。
「紙粘土の人形を足で踏み潰してくれ」と言われるがまま実行した直後に、
「やっぱ元通りにしてくれ」と、グチャグチャになった人形を何となく形にしてと・・・・ 撮影がつづく・・・
いつ終わるとも何もわからない不条理さに、いい加減キレた友人が、人形を投げ捨てて、
ようやく撮影は終了したという。
当時の関係者は語る
「どうやらスーパーエイトの現像が国内で出来ないと途中から知ってから、
アイツは編集するというコトを放棄していた様だ。」
「イヤ、そもそも編集ってコトすら知らなかったんじゃないか。」
ASTRO ZEROZERO なるFILM製作団体を名乗り、
ASTRO ZEROZERO MANなる宇宙人グレーをパクッた様なキャラクターの絵をみせて、
みんなで金を出し合ってTシャツを作ろう!!
とか訳のわからないコトばかりを 口走っていたらしい。
この頃に関わった友人の中には、彼からの電話を着信拒否するという
定番のスタイルを選択した友人もいる。
その後、彼は、その友人に対して一年に一度、4月1日にだけ意味のない電話を
掛けるというスタイルを確立した。