最近、緩和医療医の大津秀一さんが書かれた
「死ぬ時に後悔すること25」
という本を読みました。
6つの章にわかれていて、
第1章 健康・医療編
第2章 心理編
第3章 社会・生活編
第4章 人間編
第5章 宗教・哲学編
第6章 最終編
となっています。
・健康を大切にしなかったこと
・たばこを止めなかったこと
・遺産をどうするかを決めなかったこと
・結婚をしなかったこと
・子供を育てなかったこと
・人生の生きた証を残さなかったこと
など、25項目の
「死ぬときに後悔すること」
が書かれてありました。
その中で
私が「これはもう後悔しないですむ」
と思ったことは、
・美味しいものを食べておかなかったこと
→ダイエットも気にせず、日々食べたいものを食べてる(笑)
・仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
→30代までは仕事ばっかりだったけど、40代に入ってその生き方を止めた
・自分のやりたいことをやらなかったこと
→気がつけばやりたいことをやってた(笑)
・たばこを止めなかったこと
→そもそもたばこが嫌いなので、これは最初からなし
などなど、
25項目のうちのほとんどが、
「後悔することはないなー」
という感じでした。
でも、その中で、たった1項目だけ、
私の心を
激しく揺さぶる項目がありました。
それは、
「感情に振り回された一生を過ごしたこと」
たぶん、私にリアルで会ったことのある人は、
私が感情的になったことはもちろん、
感情的な側面があることも
感じられてないことだと思います。
あ、喜びの感情は別ですよ。
嬉しいことは、めっちゃ喜びます。
私は幼い頃から、
ネガティブといわれる感情が
苦手でした。
なぜなら、
表に出すことが、
許されない環境で育ったから。
なので、表向きは、感情的ではないのですが、
それは感情がないというのではなく、
閉じ込めた
知らんぷりをした
禁じた!
というのが近いです。
なので、私の内面は
ずいぶん長い間、
無意識下で
負の感情を抑圧することに注力し、
自分を疲れさせていました。
さらに、悪いことに、
「感情に翻弄されない自分であるべき、あってはならない!」
という価値観を、根深いところに植え付けていたので、
自分の感情を抑圧していること自体に、
気づきもしませんでした。
今なら、わかりますが、
そりゃぁ、疲れます。
今はもう
「そんなときもあったわね~」
と、ずいぶん笑えるようになりましたが。
さて、そんな私が、
「死ぬときに後悔すること25」の中で、
もっとも心が揺さぶられたページは、
P76~77の2ページ。
とある、死期が迫った女性の
心からの言葉です。
自分の備忘録も含めて、
記します。
後悔せずに、人生を終えるために・・・
ーーーーー 「死ぬときに後悔すること25」より抜粋 ーーーーーー
「今考えると、何であんなに泣いたり、
あんなに怒ったりしたのかわかりません」
「つまり、私がこれまでぶつかってきた障害なんて、
実は大したものではなかったということです」
「死ぬことからすれば、そんなことなど、
泣いたり怒ったりするほどのものではない」
「あれこれ心を惑わせすぎたような気がします。
今のこの心境を持ってすれば、もっと冷静で入られたものを」
「ただ皆がこうやって死んでいくもの。
だから誰かを恨んだりうらやんだりするのは、
ばかばかしいとはっきりわかりました。
あるいは、誰かをねたんで足を引っ張ったりすることも」
「だって、誰もが天に帰るのだから。
誰もが土になるのだから。皆同じ。
それを知っていれば、
私はもっと穏やかに生きれたと思うの」
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