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今回はモアイ像で世界的に有名となった島「イースター島」をご紹介♪
イースター島は太平洋南東部、チリ沿岸から3540km離れた所にあり、人が住む島では世界一の絶海の孤島です。
海底火山の噴火によって大海原に突然浮かび上がったイースター島に、最初の移民が辿り着いたのは4世紀~5世紀頃だとされて、遥か昔に漢民族の南下に伴ってインドシナ半島から押し出されたポリネシア人であると言われています。
部族社会を営むポリネシア人にとって、偉大なる祖先は崇拝の対象であり、神格化された王や勇者達の霊を、部族の守り神として祀る習慣がありました。
イースター島では、7世紀~8世紀頃に、プラットホーム状に作られた石の祭壇作りが始まり、遅くとも10世紀頃には、モアイも作られるようになったそう。
モアイは良く「海を背に立っている」と言われていますが、正確には、集落を守るように立っており、海沿いに建てられたモアイは海を背に、内陸部に建てられたモアイには、海を向いているのもあります。
モアイは比較的に加工し易い凝灰岩を、石斧で刻み、10世紀~17世紀まで、少なくとも800年は続いたと言われます。当時、彼らの作ったモアイや墳墓、石碑など考古学上、極めて重要な遺跡が数多く残されています。
ではなぜモアイづくりは終わってしまったのでしょうか?
モアイを作り運び、モアイを建てる為には大量の木材が必要で、大量伐採によって森が失われ、肥えた土が海に流れ出し、土地が痩せ衰えました。
そこに人口増加が起こり、僅か数十年の間に、人口が4倍にも5倍にも膨れ上がり、やがて深刻な食糧不足に陥るようになり、頻繁に耕作地域や漁場を争っては、部族間に武力闘争が生じるようになったのです。

モアイは、目に霊力(マナ)が宿ると考えられていたため、相手の部族を攻撃する場合、守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊していったのです。その後、モアイ倒し戦争は50年ほど続きました。
18世紀~19世紀にかけて、ペルー政府の依頼を受けた、アイルランド人や、タヒチのフランス人の手によって、住民らが奴隷として連れ出されました。
また、外部から持ち込まれた天然痘が、猛威を振るい、その結果、島の人口は更に激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれたのです。1872年当時の島民数はわずか111人。
その後1888年にチリ領になり現在に至っています。
謎につつまれたモアイ像は、それぞれ首長か重要人物を表しているとされ、当時の部族の人々にとって、きわめて重要だったことがうかがえます。
そんな絶海の孤島である「イースター島」に2010年7月11日に、皆既日食が観測され、天文ファンや観光客約4000人が押し寄せたそうです。
島の住民を守るために建てられたと思われるモアイ像たちは、いまや観光地として人々が押し寄せてくるのを目の当たりにして、さぞや驚いているかもしれませんね!ヽ((◎д◎ ))ゝ
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部族社会を営むポリネシア人にとって、偉大なる祖先は崇拝の対象であり、神格化された王や勇者達の霊を、部族の守り神として祀る習慣がありました。
イースター島では、7世紀~8世紀頃に、プラットホーム状に作られた石の祭壇作りが始まり、遅くとも10世紀頃には、モアイも作られるようになったそう。
モアイは良く「海を背に立っている」と言われていますが、正確には、集落を守るように立っており、海沿いに建てられたモアイは海を背に、内陸部に建てられたモアイには、海を向いているのもあります。
モアイは比較的に加工し易い凝灰岩を、石斧で刻み、10世紀~17世紀まで、少なくとも800年は続いたと言われます。当時、彼らの作ったモアイや墳墓、石碑など考古学上、極めて重要な遺跡が数多く残されています。
ではなぜモアイづくりは終わってしまったのでしょうか?
モアイを作り運び、モアイを建てる為には大量の木材が必要で、大量伐採によって森が失われ、肥えた土が海に流れ出し、土地が痩せ衰えました。
そこに人口増加が起こり、僅か数十年の間に、人口が4倍にも5倍にも膨れ上がり、やがて深刻な食糧不足に陥るようになり、頻繁に耕作地域や漁場を争っては、部族間に武力闘争が生じるようになったのです。

モアイは、目に霊力(マナ)が宿ると考えられていたため、相手の部族を攻撃する場合、守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊していったのです。その後、モアイ倒し戦争は50年ほど続きました。
18世紀~19世紀にかけて、ペルー政府の依頼を受けた、アイルランド人や、タヒチのフランス人の手によって、住民らが奴隷として連れ出されました。
また、外部から持ち込まれた天然痘が、猛威を振るい、その結果、島の人口は更に激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれたのです。1872年当時の島民数はわずか111人。
その後1888年にチリ領になり現在に至っています。
謎につつまれたモアイ像は、それぞれ首長か重要人物を表しているとされ、当時の部族の人々にとって、きわめて重要だったことがうかがえます。
そんな絶海の孤島である「イースター島」に2010年7月11日に、皆既日食が観測され、天文ファンや観光客約4000人が押し寄せたそうです。
島の住民を守るために建てられたと思われるモアイ像たちは、いまや観光地として人々が押し寄せてくるのを目の当たりにして、さぞや驚いているかもしれませんね!ヽ((◎д◎ ))ゝ
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