お昼に極楽坊に行ったらなんと1時間半待ちということで、前回は車で前を通っただけだった念願の公明院をお参りしました。
山門を入るとすぐ左側に飯縄山の本地仏「延命地蔵大菩薩像」が安置されている五角堂があります。五角形のお堂っておそらくこちらだけなのではないでしょうか・・・この本地仏がここに祀られることになるいきさつも、とても不思議なもので、明治の廃仏毀釈以来錫杖と地蔵菩薩像が別れたままになっていたのを公明師が導きによりひとつにして、その後持ち主により託されたそうです。
さらに中に進むと公明院拝殿が見えます。左に見えるのが三尊堂、後ろには戸隠連山が見えます。本殿のご本尊は秘仏で、説明文にも書かれていません。戸隠山をご本尊と捉えていただいてもご利益は得られるでしょうとだけ書いてあります。謎だ・・・
また修験道の公明院は神仏習合のお寺なので柏手を打っても構わないそうです。お参りの仕方は仏式の合掌でも神式の柏手でもいいということでしょう。
ちなみに三尊堂は護摩堂で中央に不動明王、向かって右に役行者、左側に公明師の木座像が安置されています。
さらに奥には公明師の眠る墓地があります。土盛された墳墓となっていて後ろには戸隠山が見えます。向かって手を合わせると凛とした気持ちになって全身が引き締まります。リアルにお参りすると本当にすごい方だったんだなあというのが発するエネルギーで分かります。
さらに前回外から見て一番気になった宝篋印塔。「萬国之英霊宝篋印塔」です。第二次大戦で犠牲になった世界中の若者の御霊を鎮め、世界平和の守護神となるようにと建立されたものです。開眼式は久邇宮殿下が総裁となったそうです。
この宝篋印塔は世界に向けたものらしく、よく見ると十字架が描かれています。
そしてこちらには鳥居、そして右に勝軍地蔵・・・仏教を中心にキリスト教と神道の象徴が彫られ、宗派にこだわらずに祀っている珍しいものです。そして一面には上田市の方の名前、もう一面には善光寺大本願とあります。善光寺は浄土宗と天台宗の二宗で管理されていますが、浄土宗の大本願は代々高貴の尼僧を上人にしていたことから、こちらとの縁があったのでしょう。
そして宝篋印塔のそばには石仏群がありました。飯縄権現像が五体、地蔵菩薩が二体、手前には魚籃観音像があります。ここでも飯縄権現様がたくさん・・・
公明院は飯縄山との特別な関係のある位置にあるのです。彼岸(春分・秋分)の日の出の方向が飯縄山山頂と、毛無山山頂を結ぶラインの延長線上に公明院があり、さらにその先には天命稲荷神社があるそうです。
もう一つのラインは善光寺から戸隠神社奥社を結ぶもので、このライン上に公明院があります。この地の越水という地名は、水を越え死と再生を繰り返す彼岸の位置を示すという解釈もあり、様々な謎が隠されていそうです。
戸隠に来たら、五社巡りに「天命稲荷神社」と「公明院」も加えるとご利益もアップするとのことです。5月には一面のカタクリの花が迎えてくれるそうですよ