第三国人と言うのは第二次世界大戦後、戦勝国を名乗って日本で狼藉の数々をしていた朝鮮人を戦勝国と区別するために出来た呼び名なんですね。

アジア解放のためだった、というのには私は共感しません。

日本人にあれほどの犠牲を払ってまで解放する意味があったのでしょうか?

一般人は皆飢えて、赤紙で否応なく戦地に行かされ、ちょっとでも愚痴れば憲兵に「ちょっと来い❗️」と引き摺られ投獄されていたと母がよく話していました。

戦後には、こんなに酷い仕打ちをされ、一体何のため❓って思います。


朝鮮人が日本人と比べて非常に肉をたくさん食べるのは昔からだったんですね驚き


記事抜粋:

東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった

 当時、あの辺は畜力として農耕牛を使ってゐたが、深夜、不逞鮮人が侵入して來て盗み出し、河原へ引いていて行って屠殺した 牛はモウと言って泣いたので皆氣付いたが、銃砲刀剣で武装しているので追ふ訳には行かなかった 永年愛育し、慈しんで來た牛が悲しさうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出來なかった

 斯うして利根川水系流域一帯の牛は皆、不逞鮮人に盗まれ、殺され、闇市で賣られた この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を賣りに來たものだ 上流で屠殺した牛を、其儘下流へ賣りに來たのだらう

 暫くして南關東から、牛はいなくなった