学校は学びの場ではなく、卒業を体験しにいくところだと僕は感じています。
卒業というのは、射手座における【I am】なんですね。
手前の蠍座は【especial】で'特別な'というように捉えています。
この関係性は、特別を知ってからでないと独立が難しいことも表します。
逆に、特別の中で閉じこもってしまっては、12サインのうちの8サインで物語が完結してしまいます。
未完になってしまうんですね。
未完で終わる面白さもあると思います。
ただ、12サインが揃ってから見る世界というものは、今までとは全く違うものなのだということです。
12サインは自らが1部屋1部屋を覗いて、暮らして、契約更新で引っ越すようなものかな、と。
ヤドカリのおうちとも見えますね。笑

蠍座の特別な存在でいると、学校の先生に対して、僕や私だけを見て!になってしまいます。
教師は子供たちひとりひとりの個性を見てあげたいのですねえ。
もしくは、先生が子供に特別視を求めたら、今のいじめのように、菌なんていう言葉で傷付けたりしてしまいます。
最も問題なのは教育理念や方針ではなく、距離感なのだと思います。
だからこそ、卒業というものがあることを体験することがとても大切なのです。

社会人になってももちろん、というか社会に出てからのほうが、距離や卒業は重要に思います。
現代は特に感性=共感とされることが多く、先頭にくっついて進みなさいというような思考停止の物事が多いように感じます。
ですが、これだけ多様な時代に、それぞれが柔軟性を活かして生きれないのは苦しいものです。
先日、縁あって木星・土星・天王星の神話を知ったのですが、これらが示唆するものは『排除しない』ということの大切さでした。
時代として世の中がサターンリターンを迎えているようにも感じていて、そのメッセージは水瓶座の根源的な問いかけに繋がります。
≪あなたにとって、それは正しいことなのですか?≫

この場合の正しいとはライトを意味し、光あるものや軽いものも含まれます。
<その言動があなたの魂に光を当て、あなたの羽ばたきをサポートしてくれますか?>


思考も一度は手放す必要があります。
その卒業を経験してこそ、初めて自分のために思考できるようになるのです。
潜在意識を顕在意識に持ち上げて、その意識にスポットライトを当ててあげると、また潜在意識へと下ろした時にもその輝きは失われることはありません。
自分にとってのライトワークが無意識に行われることが、これからの時代には必要になります。
そしてそれは、特別な人の特別な行為ではなく、一般の人の一般的な行為になることが約束されています。

魂の独立から生まれる、新しい時代です。
そこに存在するであろう共有は今までのものとは全く違うものになるでしょう。
僕はその共有こそ、共感覚と呼びたいと思っています。