花と占星術で心を癒すリュミエール久美子です。
コロナの影響で
我が家も御多分にもれず
子どもたちの学校はお休み。
長男は月末から
語学研修でイギリスに行くことに
なっていますが
現地での差別、感染の心配などから
なかなか難しい状況になっている模様。
自分ではコントロールできない問題だから
主催者の判断にゆだねるしかないなと思います。
行けたら無事行って帰ってくる対策をたて、
ダメならダメで仕切り直しするしかありません!
私も若い頃、イギリスに一ケ月ホームステイに
行きましたが、多民族国家なので
差別は少ない印象を受けましたが
この騒ぎにあってはどうなんでしょう、、、。
インドに旅行した時は
現地の名門デリー大卒のガイドさんが
案内してくれましたが、
バラックのようなところで暮らす人々を
指さして
「見たら気分が悪くなるから見ないように。」と言われ
衝撃を受けたことを覚えています。
平然と話されるその様子をみて、
明らかな身分制度が根強く残っているのだと
感じました。
物乞いをする子どもたちも「しっ。」と
言わんばかりに手を追い払っていました。
学生時代のことなので
もう随分昔の話になりますが。
旅行自体はすごく楽しくて
一般家庭でカレー作り体験、
サリーの着付け体験→タージマハール観光
チャイ教室などに参加し、満足度120点位で
(以来、インドカレー作りにはまり
カレールーを使ったことがありません。
義母がうちに遊びに来る時は
いつもカレーのリクエストがあります💛)
病気にもならず帰国しましたが、
(同時期にバックパックでガンジス川に
使った友人は赤痢になって2週間入院した💦)
差別が平然と行われている社会をみて
なんて日本は自由で暮らしやすいのだと
当時は思ったものでした。
コロナが流行している国の人を
なんの根拠もなく差別することは
(これは原発事故後福島から
やってきた転校生への冷たい態度やいじめ
と同じ質のものですね。)
最初から相手を理解することなく
自分に害を与えるものだと決めつけて
自分を守るために他者を排除する行為。
これは身分制度が激しい社会で
低い身分の人をばい菌扱いする習慣と
根本は同じかなと
そう感じました。
そうなるといくら自由でも
自分の理性や心がうまく機能していなければ
私たちは自由に暮らしているとは言えない、
自分の身を守るために
正しい情報を得て、適切な行動をすることは
大切だけれど
最初から決めつけて
本人に何の落ち度もないのに
責めて排除するということは
自分たちの住む社会の質を下げてしまう行為だなと
感じています。
そしてそれと同時に
差別というと
すごくダークなイメージがありますが
こういう面って多かれ少なかれ
実は私たち誰もがもっていると思います。
なんとなく自分に対して
不愛想にふるまってきた人に対して
あの人は「××なひどい人。」と決めつけて
相手を理解しようとしなかったり
自分の子でさえも
子どもの目線にたって考えてあげると
なるほどなと思うことでも
焦っていたり余裕がなくて
大人の都合や事情ばかり優先させて
子どもの考えや気持ちを
否定し続けることにつながったり
他者を理解しようという気持ちを
意識的にもとうとしないと
ますます自分しか見えなくなる、
そういうことって
日常的にあると思います。
自分は安全でいたい、
自分の身をまもりたい
という気持ちは
生存には必要ですし、
感じて当たり前のことですが
そういう自分を守る気持ちだけが強く働くと
人間というのは
他者に対する思いやりや
冷静さを失ってしまうようです。
だから日頃から
例えば身近にいる家族や仲間に
その人の気持ちをできるだけ理解しようという
意識をもって接するということが
本当に自由で平和な社会を作ることに
繋がっていくのかな、と思っています。
私はどんな悪い状況
苦手な人にでも
いいことを一つ以上見つけることを
習慣にしています。
それでも自分に余裕がないと
ネガティブしかでてこない。
でもそんな時に
占星術のホロスコープをみると
色々な個性の
色々な感じ方、考え方の人がいて
私はその性質をよく理解できてなかったから
苦しくなったり
辛くなったりするんだなと思うと
すーっと
心のつっかえがとれていくことが
よくあります。
メタ認知や客観性と
言われる視点だと思いますが。
占星術の分析で
自分にとって受け入れがたいと思っている人
自分にとって受け入れがたい自分自身を
良く知って仲良くなることが
個人の人生を豊かにし
社会を少しずつ平和で自由に
していくことにつながっていけばいいな、
そういうことを今日考えました。