1988年10月8日発売。13枚目のシングル。オリコン週間1位。ザ・ベストテン週間3位。
江崎グリコのコマーシャルソングに起用され、南野陽子さんが出演。このCMが撮影された駅が何処にあるか話題になりました。当時、南野さんはJR西日本のイメージキャラクターで、同社管轄外の駅での撮影が御法度だったため。
「楽園のDoor」から8作連続でオリコン1位を獲得。南野のシングル売上枚数としては、「吐息でネット」に次ぐ2番目のヒット曲(27.1万枚)
TBS系『ザ・ベストテン』(1988年11月3日放送)で歌唱した際、歌詞が一部飛んでしまうハプニングがあり、その後歌いながらマイクを持つ手が震え、歌い終わった時には「どうもすみませんでした、ごめんなさい!」と涙声で謝罪。南野さんは後日にこの理由を、「落葉を一杯敷き詰めた舞台を歩いている最中、長いドレスの裾で落葉を掃いてしまわないように、と気を取られた直後に歌詞が全く出て来なくなった」と、語っています。これ、リアルタイムで観てました。よく覚えてます。あの震え方はちょっと可哀想でしたけどね。南野陽子さんは、歌手としては、音域は狭く、楽曲を制作、提供する側が上手いなと思ってましたが、女優さんとしての南野陽子さんは憧れていました。『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』や、『アリエスの乙女たち』、『武田信玄』は観てましたね。ただ、『秋からも、そばにいて』は、楽曲の世界に入り込んで、さすが女優だなという表情をしていたように見えました。衣装も豪華だったし。あれだけスーパーアイドルで、大河のヒロインまでやってるのに、紅白歌合戦出ていないのですよね。それだけ当時の紅白歌合戦が狭き門だったのですね。
日本で初めて、樹脂層をピンクで着色した「カラーCD」として発売されました。
昨日、NHKの「SONGS」で斉藤由貴さん、浅香唯さんとともに出演して当時の裏話をされてましたね。ヨーヨー投げる時の特撮の苦労話は昔からされていたように思います。僕は、初代の斉藤由貴さんの時、途中から見始めて、がっつり観たのは、2代目の南野陽子さんからでした。