https://youtube.com/watch?v=XX8YsJ0TbMc&feature=shared


 『レッド・ツェッペリン I』(LED ZEPPELIN)は、レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバム。1969年1月12日発売。プロデューサーはジミー・ペイジ、レコーディング・エンジニアはグリン・ジョンズ。

 1968年夏、イギリスのブルース・ロック・グループ、ヤードバーズからキース・レルフ及びジム・マッカーティーが脱退し、残された2人のうちクリス・ドレヤも写真家に転向することを決意しました。ただ1人残ったギタリスト、ジミー・ペイジはバンド名の継承権を得るとともに、ヤードバーズが契約していたスカンディナヴィアでのツアーを実施する責務を負わされることとなりました。ペイジは急遽、セッション・ミュージシャンとして令名が高かったジョン・ポール・ジョーンズ、若手の無名ヴォーカリストであったロバート・プラント、同じく若手の無名ドラマーであったジョン・ボーナムをメンバーとするバンドを結成し、「ニュー・ヤードバーズ」の名でツアーを行ないました。10月19日をもってバンドは「レッド・ツェッペリン」に改名、同月にロンドンのオリンピック・スタジオで、最初のレコーディングを開始しました。ペイジは本作で「ヤードバーズ時代から温めてきた沢山のアイディア、それに加えブルース、ハードロック、アコースティックサウンドを合体させた、未知の音楽を作り出したかった。さらに“音楽の光と影”を表現したかった」と語っています。


 表ジャケットは、燃え落ちるツェッペリン飛行船ヒンデンブルク号(ヒンデンブルク号爆発事故)の写真を点描したものになっています。手がけたのは、当時ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学生だったジョージ・ハーティ。このジャケットデザインおよび「レッド・ツェッペリン」のバンド名について、ザ・フーのジョン・エントウィッスルは生前、自分のアイディアであると主張していました。だがペイジは「バンド名はキース・ムーンのアイディア、ジャケットデザインは自分達が考えた」と否定しています。デザインを手がけたハーティは、最初に自分がプレゼンしたデザインがペイジの気に召さず、ペイジから炎上する飛行船の写真を見せられ「これを複製しろ」と言われたと証言しています。


 

リリース当時、音楽評論家達の本作に対する評価は概ね厳しいものでした。「ロックミュージックが転換期を迎えている事を印象付ける作品」と評したOz誌や、「一瞬たりともダレる事がない」と評したビート・インストゥルメンタル誌のように好意的に評価したプレスもありましたが、ローリング・ストーン誌は「このバンドが伝えている事は、3ヶ月前にジェフ・ベック・グループが表現していた事と変わらず、しかもそれより上手くない」とこき下ろしました。しかし、その後バンドが成功し、年月が経つにつれ本作の評価は高まっていき、現在では『ローリング・ストーン誌』の「オールタイム・ベスト・アルバム500」(大規模なアンケートによる選出)と「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」に於いて、それぞれ29位と72位にランクインしている。

「ブルースを基礎として、ギターによるリフの上にシャウトするヴォーカルを被せる」という音楽のスタイルは、第1期ジェフ・ベック・グループが先鞭をつけていました。彼らとツェッペリンの大きな違いは、彼らがあくまでブルースを基盤にした演奏であったのに対し、ツェッペリンはブルースから一歩距離を置き、それを素材にオリジナルの加工を施して新たな音楽として提示した事にありました。また、ペイジの「音楽の光と影を表現したかった」という言葉にあるように、「ゴナ・リーヴ・ユー」や「幻惑されて」のような楽曲では、ドラマチックに展開する曲構成で静と動、陰と陽のコントラストを見事に表現し、曲にダイナミズムを与える事に成功しています。さらに「ブラック・マウンテン・サイド」ではワールドミュージックへの接近が見られ、これが後の傑作「カシミール」の誕生の布石となります。ペイジが後年「1stに全てがあり、後はそれをどのように発展していくかだった」と語っているように、ツェッペリンのスタイルは本作で確立していたと言えます。

だが、本作に収められている曲には既存曲からの盗用、流用が多く見られ、著作権表記は現代の基準から見ると問題があり、曲によっては厳正を欠くものであることには 現在でも批判があります。これについてペイジは「僕等がしていたのはあくまで"引用"で、そういった楽曲には必ずZEPなりの新鮮な空気を吹き込む様にしていました。正式にカバー曲としてクレジットしてあるもの以外は、そのまんまプレイしているものはなく、ZEPバージョンからそのオリジナルが何かなんてわかるものはないはずさ」と弁解しています。


 発売直後にアメリカ最大手の音楽雑誌であるローリング・ストーン誌から「好ましくない」とレビューされたのにもかかわらずビルボードのチャートに73週連続チャートイン。最高位は10位。2014年にリリースされたリマスター版は、オリジナル版発表時を上回る7位を記録。イギリスでは1969年3月28日発売。79週連続チャートにあり、最高位は6位。イギリスでも2014年版が最高位7位にランクインしています。


 レッド・ツェッペリンは、ブルースやフォークミュージックなど、さまざまな影響を受けたスタイルでありながら、重厚なギターサウンドで、ハードロックやヘヴィメタルの先駆者の一つとして挙げられています。レッド・ツェッペリンは、特にアルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)とスタジアム・ロックの発展において、音楽業界の性質に大きな影響を与えたとされています。


 ディープ・パープル、ブラック・サバス、ラッシュ、クイーン、エアロスミス、ブラック・クロウズ、メガデスなどのハードロックやヘヴィメタル・バンドだけでなく、トゥールやドリーム・シアターなどのプログレッシブ・メタル・バンドにも影響を与えてきました。彼らはいくつかの初期のパンク・バンドとポストパンク・バンドに影響を与えました。その中にはラモーンズ、ジョイ・ディヴィジョンとザ・カルトがあります。彼らはオルタナティヴ・ロックの発展にも重要な影響を与え、スマッシング・パンプキンズ、ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデンらが1970年代半ばの「ツェッペリンサウンド」の要素を取り入れました。この他にも、マドンナ、シャキーラ、レディー・ガガ、ケシャ、ケイティ・メルアなど、さまざまなジャンルのバンドやアーティストがレッド・ツェッペリンの影響を認めています。






 

 





NO MUSIC&SONG, NO LIFE - にほんブログ村