https://youtube.com/watch?v=dZDj2CnG5dE&feature=shared


 1998年5月19日にリッキー・マーティンが発表した楽曲、及び同曲を収録したシングル。

 通算5枚目のスタジオ・アルバムで、英語版としては最初のアルバムの『リッキー・マーティン』からのシングル・カット。

 1998 FIFAワールドカップ(フランス)の公式楽曲として採用されたため、ヨーロッパを中心に世界中でヒットしました。この曲はスペイン語版の「La Copa de la Vida」を英訳したものである。各国の週間シングルチャートでは、開催国のフランスを始め、ドイツ、スイス、ベルギー、スウェーデン、オーストラリアなどで1位を記録しました。


 リッキー・マーティンは、舞台やテレノベラで俳優として活躍した後、1991年ソロシンガーとしてデビュー。1997年の『マリア』のフランスでのヒットを受け1998年の1998 FIFAワールドカップでテーマソングである『ザ・カップ・オブ・ライフ』を歌い国際的に人気が高まりました。 その後1999年に『リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ』で全米にて英語アルバムデビューを果たし、以後活動拠点をアメリカに移しました。1999年に発売したアルバム「Ricky Martin Here I Am」は全世界で1700万枚以上、日本で100万枚以上のセールスとなりました。 世界各国でのツアーを行うほか、ユニセフの活動にも積極的に参加。「Ricky Martin Foundation」を設立し、世界中の学校へ行けず働かされている子どもたちや津波などで家をなくした子どもたちに教育の場などを与える活動を続けています。


 1998 FIFAワールドカップ(英: 1998 FIFA World Cup)は、1998年6月10日から7月12日にかけてフランスで開催された16回目のFIFAワールドカップ。決勝戦は地元のフランス代表と前回優勝国のブラジル代表の顔合わせとなりましたが、フランス代表がジネディーヌ・ジダンの2得点などでブラジル代表を3-0と下し初優勝を果たしました。大会最優秀選手はブラジル代表のロナウドが、得点王はクロアチア代表のダヴォール・シューケルが受賞しました。FIFAワールドカップとしては20世紀最後の大会。

 日本もこの大会で初出場を果たしましたが、3戦全敗に終わりました。本大会前には三浦知良選手が代表に選ばれなかったことが話題となりました。、日本代表の城彰二選手がフランスからの帰国後、一部の心ないファンにより成田国際空港で清涼飲料水をかけられる事件が発生。選手とファン(サポーター)との関係、あるいは地下鉄サリン事件などとの関連で指摘されていた要人警護のあり方などが議論になりました。城選手自身は「ファンからの批判を甘受する」として冷静な対応をとりバッシングは一時沈静化しましたが、汚名を払拭するには至らず日本代表の決定力不足の象徴として批判されることとなりました。

 Jリーグは観なくなって久しいのですが、やはり、日本代表の試合は観てしまいますね。“絶対に負けられない試合がある”。




 

 


 

 




 






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