『戦慄の王女』 (Queen) は、イギリスのロックバンド、クイーンのデビュー・アルバム。本来なら「QUEEN」は「女王」と訳されるべきですが、本作の邦題では「王女」となっています。これについては当時のレコード会社の担当者が「雰囲気で『女王』の使用を避けた」ためと語っています。

 1973年7月13日、このアルバム本国デビュー。リリース1週間前の7月6日には、先行シングル「炎のロックンロール」がリリースされました(日本でのリリースは1974年)。 本楽曲のリリース当初、母国・イギリスでは「ロックなのに曲構成が複雑で、サウンドに小細工が多い」「ディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、イエスの亜流」などとメディアから酷評され「遅れてきたグラムロックバンド」と見られることもありました。また、彼らは、本楽曲制作からリリースまでに2年近くももたつき、レコード契約から1年以上待機させられたため「リリース時にはあらゆる意味で、時代遅れになっていた」と、後にマーキュリーが回想しています。

 

 1971年2月、ジョン・ディーコンが加入したことでメンバーが固まったバンドは、9月にデ・レーン・リー・スタジオの入機材のテストを担当することと引き換えに、無料でデモテープを製作する権利を得ます。ルイ・オースティンのプロデュースの元レコーディングが進められ、ここで「炎のロックンロール」、「グレイト・キング・ラット」、「ザ・ナイト・カムズ・ダウン」、「ライアー」、「ジーザス」が録音されました。その後、バンドはマネージメント会社・トライデントと契約を結び、1972年夏頃からトライデント・スタジオにて、ジョン・アンソニーおよびロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースの元、本格的なアルバム製作に取り掛かる。同スタジオではデヴィッド・ボウイやローリング・ストーンズも作業しており、クイーンは空き時間にしかスタジオを使えなかったのですが、それでも1973年1月までにはほぼ完成しました。本作に収録された楽曲は「ザ・ナイト・カムズ・ダウン」を除き、すべてトライデント・スタジオで録音されたもの。 

 何重にもオーバーダブされたコーラスやギター・オーケストレーション、クラシック音楽を基調としたメロディ・ラインやドラマチックな曲展開など、クイーンのオリジナリティはこの時点ですでに備わっていたと言えます。アルバムに「...and nobody played synthesizer(誰もシンセサイザーを演奏していない)」と明記されているのも、彼らのサウンドへの強い自負の表れとも言えますが、この緻密な音造りは、プロデューサーのベイカーの影響。


 イギリスではリリースされた1973年のうちにはチャート・インすることはなく、次作『クイーンII』のヒットに乗る形で1974年3月30日付で47位に初ランクイン、1976年2月7日付および2月21日付の24位が最高位。アメリカではイギリスよりも早くチャート・インしたが83位に留まりました(1974年2月2日付)。 リリース当初のイギリスでは、複雑な曲構成やふんだんに使用されたエフェクトが批評家筋から嫌われ、中には「こんなものが売れたら帽子でも何でも食ってやる」と叩く批評家もいましたが、アメリカではおおむね高評価を受けました。ローリング・ストーン誌は「このファンキーでエネルギッシュなイギリスの4人組は、レッド・ツェッペリンが放棄したヘヴィメタルの王座を狙えるだけのツールがあり、ロック界に大きな影響を与える勢力になることは疑いようがない」と賞賛し、ウィニペグ・フリープレスも「彼らは一番新しいイギリスのスーパースター候補である。彼らが大きな成功を収めても驚かない」とバンドを称えました。 メンバーの自己評価はあまり高くなく、メイは「製作に時間がかかりすぎ、アルバムを出す頃には音楽シーンが大きく変わってしまった。ちょっと期待外れだったね」と語り、ロジャー・テイラーも「気に入らない点はたくさんあるよ…ドラムの音とかね」と不満を漏らしています。


 本人たちは不完全燃焼だったのかもしれませんが、デビュー作にして、とても綿密な音作りで、荒削りな部分が少なく、既にQUEENサウンドが確立されているように思います。QUEENで最もロック色が強いでしょうか。でも、けたたましいだけのロックではなく、上品さも感じさせますね。

 




 

 






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