https://youtube.com/watch?v=7h5H2fUVu4w&feature=shared
『孤高のストレンジャー』(原題:Stranger in Us All)は、リッチー・ブラックモア率いるハードロック・バンドのレインボーが1995年に発表したスタジオ・アルバム。6位(フィンランド) 7位(日本)
『ストリート・オブ・ドリームス』(1983年)以来の新作で、ブラックモアと新しいメンバーによって製作されました。
ブラックモアは1993年11月にディープ・パープルを再び脱退して、ソロ・プロジェクトに着手しました。バンド名は当初の発表ではムーン(Moon)だったのですが、レインボー・ムーン(Rainbow Moon)に変更され、最終的にはレコード会社によってレインボーに決められました。 新生レインボーにはミッドナイト・ブルーやプレイング・マンティスで活動したドゥギー・ホワイトがボーカリストとして参加。彼は最初の2日間のリハーサルでブラックモアと新作3曲を共作したといいます。他にポール・モリス(キーボード)、グレッグ・スミス(ベース)、ジョン・オライリィ(ドラムス)がメンバーに迎えられました。
後にブラックモアとブラックモアズ・ナイトを結成するキャンディス・ナイトが、バックグラウンド・ボーカルを担当し、4曲をブラックモアらと共作しました。 「ホール・オブ・ザ・マウンテン・キング」はエドヴァルド・グリーグの『ペール・ギュント』の「山の魔王の宮殿にて」を編曲したもの。「スティル・アイム・サッド」はヤードバーズが1965年に発表した楽曲のカヴァーで、レインボーが取り上げるのはデビュー・アルバム『銀嶺の覇者』(1975年)に続いて2度目でした。
ヨーロッパの一部の国や日本では大ヒットを記録。フィンランドのアルバム・チャートでは6位に達し、6週連続でトップ40入りしました。日本ではオリコンチャートで7位に達し、1995年9月度に日本レコード協会によってゴールド・アルバムに認定されました。スウェーデンでは2週連続で8位となり、レインボーのアルバムとしては4作目のトップ10ヒットとなりました。 ブレット・アダムスはオールミュージックにおいて5点満点中3点を付け、「ホワイトは真っ当で極めて有能なハードロック・ボーカリストだが、ロニー・ジェイムス・ディオ、グラハム・ボネット、ジョー・リン・ターナーほど突出していない」と評しました。ただし彼は「ハンティング・ヒューマンズ(インセイシャブル)」と「ブラック・マスカレード」を「かつてのレインボーのエネルギー、ドラマ、ダイナミクスを再現しているという意味で突出した2曲」と評しました。
ブラックモアはソロ・アルバムのつもりでしたが、市場に出すに当たってリッチー・ブラックモアズ・レインボー名義を冠せられました。ホワイトが器用に声色を使い分けて歌っていることもあり、荒削りなギター・プレイ、ギターの音色、練り込まれたアレンジ等において、ブラックモアのロック経歴の集大成的な楽曲が並ぶアルバムになっている。プロデュースはパット・リーガンとブラックモア。しかし、アメリカでは不発でした。1995年当時のグランジ全盛のアメリカでは、時代おくれとされたのでしょうか。個人的には大好きなんですが。
音楽雑誌「BURRN!」の読者人気投票で、1995年度のベスト・グループとベスト・アルバムに選ばれています。
今日、聴き直したのですが、ドゥギー・ホワイトって後にイングヴェイ・マルムスティーンのヴォーカリストやってますね。
ディープ・パープルの『紫の聖戦』(個人的に駄作ではないけど、うーんという感触)聴いた時に、リッチー、イアン・ギランがギクシャクしているんだろうなと感じていたんですが、案の定、リッチー脱退して新しいレインボーを結成しました。環境が変わって、自分のやりたいことをやったら、まだまだ良いものができるんだと思った記憶があります。