https://youtube.com/watch?v=2rF5Kvr9pVo&feature=shared
『エレクトリック・ギターとオーケストラのための協奏組曲 変ホ短調「新世紀」』(Concerto Suite for Electric Guitar and Orchestra in E flat minor Op.1 - Millennium -)は、スウェーデン出身のギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンが作曲、1997年に完成させた全12曲の協奏組曲、ならびにマルムスティーンとチェコ・フィルハーモニー管弦楽団(ヨエル・レヴィ指揮)による演奏を収めた11作目のスタジオ・アルバム。
ジミ・ヘンドリックスやリッチー・ブラックモアらギタリストの影響でロックやヘヴィメタルに夢中になっていたマルムスティーンは、姉の影響でジェネシスを聞いたのを機にバロック音楽を初めとするクラシック音楽に熱中するようになっていきます。ヘヴィメタルのリズムとクラシックの旋律、ニコロ・パガニーニに強く影響を受けたギタープレイでネオクラシカルメタルの旗手となった彼ですが、エレクトリック・ギターによるギター協奏曲という構想が語られ始めるのは1992年頃。 「オーケストラの第一ヴァイオリンに代えてギターで演奏する」、ロック・ギタリストであるマルムスティーンはここを主眼として着想を広げていきました。
過去にはディープ・パープルとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』、近年ではメタリカとサンフランシスコ交響楽団による『S&M』やスコーピオンズとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による『栄光の蠍団』 (Moment of Glory) などが「ロックとクラシック・オーケストラの融合」であったのに対し、彼が構想したのはあくまでもエレクトリック・ギターを主とする協奏曲でした(ただし今作には題名に反してアコースティック・ギターも使われます)。 作曲が始まったのは1995年頃のようですが、本格的な制作に入ったのは1996年から。さらにこの頃には協奏曲 (concerto) ではなく協奏組曲 (concerto suite) となっていました。ちなみにマルムスティーンは楽譜を読み書きしないため、自身のギターやハミングを当時バンドの同僚であったマッツ・オラウソンにシンセサイザーで置き換えてもらって録音していくという手法で作曲が行われました。こうした3か月の作業の後、その音源をデヴィッド・ローゼンサルが楽譜に仕上げて完成となりました。 オーケストラ・パートの録音は1997年6月中旬、9月末にギター・パートがそれぞれプラハのルドルフィヌムで録音されました。初演は新日本フィルハーモニー交響楽団との共演(竹本泰蔵指揮)で日本で行われ、会場は2001年6月15日すみだトリフォニーホール、同年6月17日オーチャードホール。このうち17日分は録音・撮影され、『エレクトリック・ギターとオーケストラのための協奏組曲 変ホ短調 コンチェルト・ライヴ・イン・ジャパン・ウィズ・新日本フィルハーモニー交響楽団』(2002年)としてCD/VHS/DVDで発売されました。 なお、1998年2月18日にはCDの素材にARTONを使用し、同年2月4日に発売されたものと異なるジャケットを採用した盤がキャニオン・クラシックスから発売されました。
僕は小さい頃から、ピアノを習わされていて、家でクラシックのレコードを聴く機会も多く、バッハやモーツァルトも好きで、こういう音楽、全然抵抗なく聴けました。ロックにクラシックを取り入れるなんて邪道だという人もいますけどね。なかなかこの発想って思いつきそうで思いつかないですよね。
以外なことに、イングヴェイとの出会いは、前作『Facing the Animal』が初めてです。多分、DEEP PURPLEか北欧メタルのCDコーナーの近くに置いてあったから、手に取ったのだと記憶しています。「「王者」の風格・・・。コンポーザとして、そしてギタリストとして、イングヴェイがその才能を余すところなく発揮した、まさに「最高傑作」!」という帯コピーが妙に気になったのと、参加ミュージシャンにコージー・パウエルの名前があったから気になったのだと思います。仕事帰りに購入し、帰宅後、ライノーツを読んでいると、エレクトリック・ギターによるギター協奏曲の構想をしているというような文面があったので、発売を待っていた記憶があります。待っている間に、『セヴンス・サイン』や『マグナム・オーパス』を買いましたね。あまりのアクの強さに他の音楽を聴くことをしばらく忘れるほど、イングヴェイ沼に嵌ってしまった感覚でした。いったん捕まるとなかなか逃れられないというか…。