https://youtube.com/watch?v=avd-tqJLrQw&feature=shared


 1992年1月1日にビクター音楽産業から発売されたアルバム『天賦の才能』に収録。同年4月21日には、18枚目のシングル「鼻から牛乳/帰って来た替え唄メドレー4」(両A面)としてシングルカットされました。この初代「鼻から牛乳」は、男女関係における、多重交際(二股および浮気)を原因とした修羅場を歌った内容。 歌詞の1番では、多重交際をしている男性の視点で、交際女性の1人を自宅に招き入れた場面が語られます。ところが男性はうかつに留守録の再生ボタンを押す、女性がシャワーを浴びている間に別の交際女性に電話をかけるなど、不用意な行動を繰り返しては墓穴を掘り、女性に問い詰められていきます。そして、気まずい局面が訪れるごとに、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲「トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565」のよく知られた冒頭部のメロディーに乗せて「チャラリー 鼻から牛乳」のフレーズが歌われ、男性の追い詰められた気持ちが表現されます。2番の歌詞では別のカップルが登場し、今度は二股交際をしている女性の視点から、片方の交際相手の男性に苦しい弁明を繰り返す様子が歌われれます。 本来の曲は若者から大人向けのアダルトな内容ながら、この小学校の給食の1コマを連想させるフレーズと後の小学生向けのリバイバルヒットから「鼻から牛乳」は子どもにも人気となり、嘉門さんは「給食の時間に嘉門さんのCDをかけて鼻から牛乳を噴き出し先生に怒られました」という声をよく受けるといいます。 この曲から、恋愛がらみの嘘が露呈することを「鼻から牛乳」と呼ぶ流行語が生まれました。


 2020年5月6日に嘉門さんが自身のYouTubeチャンネルで明かしたところによれば、 当該動画から30年ほど前のラジオ番組にゲスト出演した西村知美さんが「チャラリー 鼻から牛乳」と口にしたのが気に入り、それを曲に出来ないかと考えていたこと。 その後嘉門さんが調査したところでは、このフレーズは元々、西村さんの出身地である山口県宇部市から広島県の一部地域で子供たちが昔から用いてきたフレーズだそうです。 桂雀々さんの家に遊びに行った際に、雀々さんの浮気とそれが発覚したあとの修羅場の様子を妻から聞かされたことがヒントとなり本曲の製作に至っています。 また別の出典では、嘉門さん自身の小学生時代、好きな女の子が給食で牛乳を飲んでいる時に「プー」などと声をかけて笑わせ、牛乳を噴き出させていた思い出に本曲の原点があると語っています。


 くだらないな〜と思いながら、シングル購入した覚えがあります。『鼻から牛乳』も『替え唄メドレー』も初聴は爆笑なのですが、あくまでもネタなので、すぐに飽きてしまうという難点がありました。