https://youtube.com/watch?v=bG3qO2F3UgY&feature=shared


 1981年2月1日発売。シャネルズ(後のラッツ&スター)の3枚目のシングル。オリコン週間1位。ザ・ベストテン週間1位。

 前作「トゥナイト」から約半年を経てのリリースとなった、謹慎明けから活動復帰後初シングル。 この曲で『ザ・ベストテン』に初登場した時には、復帰直後ということもあり、メンバーが謝罪、今後の目標を語りました。 アルバム『Heart & Soul』にも収録されています。 冒頭のアカペラ部分は当初予定には無かったのですが、鈴木雅之さんの発案によりレコーディング中に急遽挿入されました。 1992年の東宝映画『未来の想い出』の挿入歌に使われ、サウンドトラック盤に収録されています。

 ラッツ&スター (RATS & STAR) は、1982年以前はシャネルズ(CHANELS、後にSHANELSに変更)のグループ名で活動していました。4人のボーカルが顔を黒く塗り、ドゥーワップやソウル音楽等のブラックミュージックを歌っていた事で知られています。30年以上に亘り活動を休止していますが、正式な解散はしていません。

 

 結成当時は、ちょうどキャロルが解散したころで、周りのほとんどのアマチュア・グループはキャロルのコピーをやっていたため、鈴木雅之さんが人と変わったことをやりたいと、鈴木さんの好きなドゥーワップやR&Bを演ることになりました。

 

 1977年、当時最高峰のアマチュア・バンドコンテスト『EastWest'77』(主催・ヤマハ)に出場し、決勝大会まで進出して入賞を飾りました。『EastWest'77』でサザンオールスターズを始めとする他のバンドに圧倒されたメンバーは、シャネルズをもっと強く印象づけられるものが何かないか探していました。そんな時、田代まさしさんが深夜にテレビで放送されていた東宝映画『三匹の狸』(1966年)を観ている時に小沢昭一さんが演じていた黒塗りパンチパーマの詐欺師にヒントを得て、黒塗りの顔でステージに立ってみることを発案。 話し合った結果、目立つようにメインボーカルの4人だけが顔を黒く塗ることに決め、衣装も黒い顔に似合うものを探して、キャバレーの呼び込みが着ていた制服であるど派手なタキシードを安く仕入れました。そして、鈴木さんの父が持っていた黒人音楽のレコードやジャケットを見て、衣装に合う振り付けを考え出しました。こうして『EastWest'78』にはレコードデビュー後のスタイルに近い形で出演し、その後の曲のレパートリーも本格的なドゥーワップが中心となっていきました。 鈴木さんは1981年の雑誌インタビューで「黒人の音楽は超えられないけど、近づくことは出来ると思う。黒人に近づく為のポリシー、スピリットは、顔を塗ってアピールすることから始まったから、自分達の音楽は黒いな、とか、お客さんが、シャネルズは黒いなって思ってもらうようになったら、塗る必要なんかなくなる」と述べています。 ただ、当時しばらくはドゥーワップがなかなか世間で認められず苦労するも、山下達郎さんには早くから認められていました。その後新宿のライブハウス「ルイード」で定期的に行っていたライブが次第に評判を得始め、アマチュアバンドの中では一、二を争う人気グループとなっていきます。このころ脱退したメンバーと入れ替わりに横浜のアマチュアバンド「ダックテールズ」のリーダーだった山崎廣明さんがメンバー入りし、更にその後サイドギター担当が抜けた後釜に葛飾区柴又出身の出雲亮一さん

が加入してデビュー後のメンバーが揃いました。


 今日、ちょっと長距離のドライブをしながら、シャネルズ、ラッツ&スターを含めた鈴木雅之さんのベストアルバムを聴いていたのですが、とても都会的でオシャレですね。鈴木雅之さん、ちょっと大人っぽすぎて、敬遠していましたが、80年代に既にこんなかっこいい音楽をやっていたのかと驚きました。2000年頃にR&B、ブラックミュージックが日本でも流行ったし、最近はシティーポップが流行ったし、何だか今の若者が聴いても新鮮に感じるかもと思いました。

 鈴木雅之さんも『め組のひと』とかよくテレビで歌ってますし、本当はラッツ&スター演りたいのだろうなと思いました。歌い方が若い頃からほとんど変わらない。上手いですね。



 

 


 

 






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